ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮



公開二日目、Bunkamuraル・シネマにて観賞。
18世紀に実際に起きた「デンマーク人なら誰もが知る王室最大のスキャンダル」、国王クリスチャン7世と王妃カロリーネ、王の侍医ストルーエンセの三角関係を元にした物語。


オープニング、カロリーネ元デンマーク王妃(アリシア・ヴィキャンデル)が子ども達へ手紙を綴っている。以降はその内容という作り。「今」の彼女は、アクが抜けでもしたかのように美しい。全篇に渡り、彼女の顔の変化を見ているだけで、そこにドラマが在る。マッツ・ミケルセン演じる侍医ストルーエンセ然り、王クリスチャン7世然り、他の登場人物の顔も雄弁だ。
「9年前」、イギリスの草原で花を摘むカロリーネ。その顔は頑なな蕾のように固い。母親とのやりとり「王や国民に好かれなかったら?」「秘訣を教えましょう、王が夜、寝室にやってきたら結婚は成功よ」。一瞬「?」と思うが、助言と優しさと真実の入り混じったうまい言い方だ。


王妃が王を初めて目にするのは、立ちション中の木陰から覗く顔。「当時は彼の『病』について知らなかった」彼女視点で話が進む冒頭は、王のあまりのゲスさにうんざりさせられる。王妃以外の唯一の目線は、王が見る彼女の胸のショットのみ。
どぶねずみが走り回る街中を抜けた先の王宮で独りぼっち。あまりの息苦しさに、マッツ早く出てきて!と思っちゃうけど、彼は「王妃を救う王子様」として現れるわけではない。ストルーエンセが登場すると映画の視点が広がり、ストルーエンセ、王妃、そして王をめぐる物語となることで面白さが生まれる。冒頭、原題「En kongelig affare」(王室の情事)があまりに控え目に現れるのが印象的だったものだけど、本作は、よく知られた話の裏にはこういう物語があったと訴える映画だ。


作中最も胸が一杯になったのは、侍医を選ぶ「面接」の際、初めて「話の通じる」相手に出会って輝く王の瞳。中盤、彼が初めて「自分の言葉」ではっきり意見を述べる場面にも感動した。結局のところ、私は(作中の)王にもストルーエンセにも好感は抱けなかったんだけど、それでも。
啓蒙主義者」ストルーエンセの改革は拷問や検閲の禁止、孤児院の設立など、民衆に有益なものだったが、既得権者の反発を受け、王妃との「不倫」をタテに逮捕される。拷問の末の自白の後の十字架、最期に目にするどこまでも広がる民衆の姿が心に残った。
私が彼のことをあまり好きになれないのは、自分だけが絶対であるという姿勢に馴染めなかったから。前述の、王の瞳が輝いた時だって、ストルーエンセの方は何を思っていたんだか。「侍医」とは(今の定義で言う)「医者」じゃないし、今の感覚を持ち出すのは無意味だけど、翻って、医師や教師という職業の者は一体どこまでを成すべきだろうか、などとふと考えた。


作中何度も、マッツがごくりと唾を飲み込む音が聞ける。なぜかマッツのだと(目の前で起きてるんだから当然だけど)分かる。ああいうものにも「個人差」があるんだろうか?