そして友よ、静かに死ね



冒頭、「Black Night」に乗せてギャングの若者達の狂態が示されるのに意表を突かれる。場面替わって「今」、海を臨む閑静なテラスで、すっかり落ち着いた体のジェラール・ランヴァン演じる主人公モモンが上半身裸で物思いにふけっている(その後も何かというと脱ぐ・笑)。そして話は「5週間前」に遡る。
とうの昔にギャングから足を洗ったモモンの元に、少年時代からの友人セルジュ(チェッキー・カリョ)が13年間の逃亡の末に捕まったとの情報が入る。家族のことを思い逡巡するも、結局、直接手を下さずとも彼が逃げられるよう謀ってやる。


チラシのイメージなどからこの「奪還作戦」が映画のメインだと思っていたので、早々とセルジュが隠れ家に落ち着くのに驚いた。その後、物語はセルジュを狙う組織や警察とモモンの攻防と、彼の回想によって進む。回想シーンがやたらボリュームある上、若かりし頃のモモンとセルジュが今の二人に全くもって似ていないので、次第に違和感を覚える。
とある強盗事件の回想シーンで、日付と場所がテロップで表示されたところで、ああこれは実在の出来事を元にしているのかと気付く。そう分かると余計、密度の濃い「今」の描写に比べ(短い時を描いてるんだから当然だけど)、「昔」は「伝説」を外側からのっぺりなぞっているだけのように感じられた。
ちなみに冒頭の曲を始め、彼らが「伝説」となる(「俺たちスターだぞ!」というセリフあり)くだりでは当時のヒット曲がBGMに使われ、昔も今も私的な場面では、エスニックぽい曲を流しているのだった。


しかし終盤に至り、なんだかぴんとこない「昔」の描写について、「今」のモモンの中では過去とはそういうものなのではないか?という考えが浮かんでくる。
13年ぶりに再会したモモンとセルジュの様子は、どこかぎくしゃくして見える。隠れ家に落ち着いた仲間たちはワインと生ハムで机を囲み、久しぶりとは思えない何でもない会話を交わす。その素っ気ないとも言える雰囲気を、始めはそういうものと受け止めてたけど、やがて、モモンの回想は「夢」に近いのではないか?「希望」の混じったあやふやなものではないか?と思うようになった。
全編を通じて感じたのは、陳腐な言葉だけど「人間臭さ」で、例えばモモンに限らずギャングの面々は、危険な日常においても自分の家族は守ることができると信じているのだろう、それはうちらが、自分は事故や災難に遭わないと何となく思ってしまうのに似ている。とくにモモンはそういう意味での「人間臭さ」が強いように感じられる。「25年前」に引退した彼が、その現役時代を知らない若い世代にも慕われているのは、そのためもあるのかな、などと思った。


モモンの妻ジャヌー(ヴァレリア・カヴァッリ)は、当初「昔はあなたのために拘置もされたわ、愛していれば当然よ、でも今は無理」「家族を優先させて」と念を押し、彼が深みにはまると「しばらくよそへ行くわ」と家を出て行く。その彼女が息子の家から、セルジュの孫に聞いたあることを夫に電話する場面が…それ自体の描写は無いんだけど、印象的だった。自分の身を守ることにも繋がるんだけど、変な言い方だけど、ギャングのパートナーだった者としてやることはやる、というか。
もう一人出てくる女はセルジュの娘。自分に暴力をふるう夫を殺されると「最低な男でも息子の父親よ」と怒りを露わにする、そういう女だ。作中の銃がらみの場面で一番ぐっときたのは、彼女が銃を取り上げ装填する場面。ふとその姿の「普通」ぶりに、「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」のシルヴィー・テステューを思い出した(そんな場面は無いけど)。