さあ帰ろう、ペダルをこいで




「我々は独裁国家から逃げてきただけで、犯罪を犯したわけではない
 それなのにここでは囚人扱いだ
 申請手続きの迅速化と食事の改善、言語教育を希望する」
「民主主義国家の人民は無秩序に寛容なわけではない
 難民キャンプに不満分子は必要ない
 イヤなら帰れ」


ブルガリア人の監督による2008年作。これも移民を扱った映画だったとは。
80年代に共産党政権下のブルガリアから亡命した夫婦とその息子。25年後、祖国に残った祖父とドイツに暮らす孫は、あることを切っ掛けに再会する。三世代それぞれの苦労が描かれるが、「現在」は、祖父と孫の意思と「奇跡」に明るく輝やいている。


オープニング、分娩台での出産映像に「これがぼくの物語の始まり」とナレーション。日付によると私と一歳違いなので、それからずっと、私が育ってきた時、ああして育ってた子がいたんだ、と思いながら観た。
場面は変わり、そのアレックスの「現在」、車の後部座席での腑抜け顔。実は予告編で目にした彼の顔がいまいちだったので(しまりのなさすぎるゲイリー・シニーズといった感じ)観る気にならなかったんだけど、観てよかった(笑)ちなみにこれが何の道程だったかは最後に分かる。
彼の暮らす、空気の澱んだような部屋。隣人の惣菜屋の爺さんいわく「いつも一人で、友達も恋人もいなかった」。映画の前半では、アレックスが事故に遭い記憶を失った「現在」は暗く、亡命以前の暮らしの「回想」は明るい。祖父バイ・ダンがアレックスをステッキで叩き出し(笑)タンデム自転車に乗せると「現在」が明るくなり、亡命以降の「回想」が暗くなる。そのうちそれらは渾然一体となり、ラストには「奇跡」が起こる。


祖父はかつて「レーニン像を爆破」した罪で投獄されるも恩赦で死刑を免れた。娘夫婦の亡命後には殴られ連行される。父は上司に義父をスパイしろと「脅され」、同僚達が「同志の死」を悼んで唱う場を去る(この場面には、君が代の口元チェック問題を思い出してしまった)。亡命後には家族が「腐らない」よう、信条に背いて賭けをする。両親に連れられ「祖国」を出た孫は、難民キャンプで「初めての友達」を作る。
祖父は「昔ながら」の人間で、孫に対し「段ボールに囲まれて説明書を翻訳する暮らしなんて死んでるようなもの」と言ったり、抗うつ剤を捨て酒を勧めたりする。私はそういうの(そういうキャラクターを映画で「善」として出すこと)、あまり好きじゃないんだけど、その人生を振り返ると、むべなるかなとも思える。彼が信じるのは自分の意思と肉体が出す結果だけ。二人の旅は始め「おれ(祖父)は舵とり、お前(孫)は動力」だが、最後には孫が一人であちこち迷いながら、着くべき場所を目指す。


一家がまず亡命した先はイタリア。難民キャンプの食事は毎日三食、世界一不味そうなスパゲティだ。「イタリアでは政治亡命を受け入れないから、第三国への亡命申請が必要、アメリカの場合は保証人が要る」なんて知らなかった(今はどうなのかな)。冒頭に示したセリフは、キャンプで何年も暮らしている難民と、役人とのやりとり。
本作は自転車映画というには他の要素も色濃いけど、自転車つながりで、「ヤング・ジェネレーション」でも(そう変わらない時代の)イタリア人が悪者だったなと思い出した(笑)


バックに流れる音楽やダンスシーンに、昨年のお気に入り「ソウル・キッチン」がふと頭をよぎる。ここはバイ・ダン役のミキ・マノイロヴィッチが常連だったクストリッツァ作品を挙げるのが適切かもしれないけど、クストリッツァ苦手だから(昔のこと、今見返したら違うかも)。もっとも「ソウル・キッチン」はドイツに暮らす移民たちの話だから、あながち遠くない。本作ではファニーフェイスの「マリア」役、ドルカ・グリルシュも出てたし。



アメリカから兄貴が呼び寄せてくれるのをずっと待ってたけど…
 もしかしたら、死んじまったのかもな
 アメリカだって人は死ぬさ
 店にいきなり男が入ってきて銃を乱射するような、そんな国さ」


アメリカに渡った兄からの連絡を待ちながら難民キャンプに居続けた男、通称「シカゴ」のセリフ)