グリード ファストファッション帝国の真実


金絡みの酷いニュースが日々更新される現実を生きる中、その酷さを写し取ったようなこの映画をいつまでも見ていたい(酷いと認識している人がいると実感できるから、変な言い方だけどそれだけでも慰めになるから)と奇妙な感じを覚えながら見ていたら、ある場面から全然違う様相を見せるので驚かされた。

リチャード・マクリディ卿(スティーヴ・クーガン)は若かりし頃、自分自身に「グリーディ」(強欲)とギャンブルネームをつけた。彼にとってギャンブルとは「勝つことが決まっているゲーム」、すなわち他者にとっては「強奪」。得意の目眩し、手品でもって他人を騙して何かを奪うのが目的である。

映画は真っ暗な部屋で作家のニック(デヴィッド・ミッチェル)がマクリディに関する動画を見ているのに始まる。彼はマクリディの物語を書くために人々から話を聞いて回っている。マクリディは誕生日パーティにおいてその物語を望む方へ軌道修正しようとするが、要の工事に雇ったブルガリア人に逃げられ、海辺で寝泊まりしているシリア難民から労働力を搾取しようとその内の一人、カリーム相手に手品をやってのける。

ここから映画は違う方向へ舵を切る。スタッフとして奴隷の衣装を身に付け「手品」を見ていたスリランカ人のアマンダの話をニック(=私達)は初めて聞くことになる。それは早送りされていた録画テープの中身、序盤で語られていたマクリディ得意の駆け引きがもたらした実際である。先の海辺の手品はマクリディがいわば工場のオーナーではなく従業員に初めて直に接触した場面と言えるわけで、その瞬間から彼の運命は変わっていく(ここからしばらく、何かを悟ったようなクーガンの演技の妙)。

映画の終わり、ニックはテレビ番組で「マクリディ卿は移民としての誇りを持つ、強い人間でした」と語る(これは「嘘」ではない)。一方でアマンダには自分はお金のために書くのだ、それゆえ「真実」ばかりは書けないのだと告白する。金の問題により、世の中には語られやすい物語とそうでない物語がある。例えこの映画の結末が、あるいは現在の世界に溢れているのが悲劇であっても、私達は物語を選ぶことが出来る、そう言われているのだと私は受け取った。