ピナ・バウシュ 夢の教室



2010年制作の本作が、ヴェンダースの「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」(感想)に合わせて公開。これまでピナのこと知らなかったのに、この二作のおかげで、彼女に対する欠乏感が植えつけられてしまった。だって名前を冠していながら、どっちにもほとんど出てこないんだもの(笑)


ピナ・バウシュの企画のもとに集まった、ダンスは未経験のティーンエイジャー40人。彼らは10ヶ月後にピナの代表作「コンタクトホーフ」を舞台で踊る。指導するのはピナの舞踊団のベネディクトとジョー。「Pina」で見た顔なので、あっあの人だと親しみを覚える。
本作のほとんどは練習風景。多忙なピナがスタジオに顔を出すのは、始まって数十分程経ってから。それまでは(彼女を知らなかったであろう)子どもたちの、ピナに対するちょっとしたコメントがあるきり。「偉大な人」「自分もこの場も彼女によって変わった」「来るといつも、ポーカーフェイスで煙草を吸ってる」。少なくとも作中のピナは自身で踊ることはなく、ただただ子どもたちを見つめてアドバイスをする。幾度もアップになるその横顔は確かに「ポーカーフェイス」だったり、笑みを浮かべていたり。見ていていい気持ちになる。


練習後にある少年が「振り付けの意味が分からない。動きが意外すぎて覚えられない」と言う。ジョーは何度も場面ごとの「感情」を説明し、子どもにその「役」について尋ねる。練習風景を見ることで、「Pina」では完成形だけ観た「コンタクトホーフ」の「意味」が分かる。知らないながら見るのも、知って見るのも、それはそれでどちらも面白い。そういう点でも、「Pina」の記憶が生々しいうちに観られてよかった。「Pina」ではダンスが「映画」的に、あるいは何らかの解釈でもって撮られていたけど、こちらでは(「練習」だからというのもあるんだろうけど)ごくごく「普通」に捉えられているのも新鮮だ。
「笑い」の場面がなかなか出来ない子が「楽しい気分になりきれない」と口にすると、ジョーは「そういうんじゃない、もっと真面目なものなのよ」と指導する(このやりとりのニュアンスはよく分からなかった)。その後何度か繰り返すも「勇気が出ない」と言う彼女に、それじゃあ一緒にと手をつないでやってみる。ああいう場面はいかにも「体」を感じ、彼女に感情移入してしまって面白い。


「コンタクトホーフ」のテーマは「男女」の関わりと愛だそう。身体接触がより特別な意味を持つ時期だから、ジョーいわく「男女の絡みは練習に慣れてからにしたわ」。
彼らの「性」的な感覚が、練習風景にも溢れている。「出会いがあるかもと思って参加してみたら、皆真面目だったわ」「普段はあんなふうに女の子に触れたりしないよ、まずはキスから」「触れられるのには今でも慣れない」等々。自分の中高生の頃を思い出すと、ダンスで誰と「ペア」になるかなんて大問題だったけど、そういうのは無いんだろうか?なんて思ってしまった。映像を見る限り、全員が自信のようなものに溢れている。それが「指導」のおかげならやはりすごいことだ。


他色々。「Pina」にも出てきて心躍らされたモノレールが何度か映る。それに乗って練習にやってくる子どもたちの私服姿がいい。スタジオでは何人もがマクドナルド(の何か)を食べている。本番前に靴を買いに行く場面も良かった。普通の靴を履いて踊るものなんだな。
「主役」の女の子には肉が無く、本番前に舞台袖で光が当たってるとき、一瞬ディートリッヒに見えた。