いちご白書



武蔵野館にて「語りつぎたい映画シリーズ」(公式ページ)の公開初日。未見なので、劇場で観たら楽しいかなと思い出掛けてきた。


主人公・サイモン(ブルース・デイヴィソン)はボート部所属の大学生。その日常が紹介される冒頭にはあまり乗れなかった。彼の顔付きも、イメージカットを次々繰り出してくるような映像も苦手だ。
足取りも軽く部活動から帰る道のり、杖をついた老婆や赤ちゃんを抱いた母親などを次々と追い抜いていく。集合住宅に飛び込んだところでカメラがひき、坂の途中であることと、町の様子が分かる。部屋には「2001」のポスターなど、どこを見ても「知ってる」ものがあふれており、この時代って「メジャー」なんだなあと思う。


ストライキ中の講堂をふと訪れたサイモンと、活動家のリンダ(キム・ダービー)が出会うあたりから面白くなってきた。サイモンの表情にも魅力を感じる。「きみはここにいるの?」「立てこもってるってこと?それともこの部屋のこと?」ちょっとしたやりとりが噛み合わないけど、二人は気にせず笑い合う。
「食糧班」の二人は特別な出口から外へ出る。オモシロおやじとのやりとり、カートに引かれての坂下り。次の日、サイモンは仲間に「一緒に寝たけど、回りにたくさん居たから何もできなかったんだ」と打ち明ける。
「色々あった」後、リンダはサイモンに対し「あなたと寝るようなことになったら…」「一緒にいると本当の私になれない」などと言う。「若いなあ」では済ませられない、例えばセックス一つ取ったってそこには「社会」が介入してくるわけで、今の私にもついて回る問題だなと思った。もっとも彼女は「女性解放委員」であり「ボーイフレンドがいる」ので、違う意味がこめられてるのかもしれないけど。


一斉検挙が行われるラストシーンには、これほどの暴力映画だったとはとびっくりさせられた。冒頭サイモンは何気なくゴキブリをパンのかけらと共にコップに閉じ込めるけど、最後には、自らがバルサンで退治されるゴキブリのような立場となる。怒号と悲鳴と血にまみれた時間が延々と続く。学生側にも外部にも感情移入していないところが、作中ではこの場面だけ「異様」なので、宙に浮いたような妙な気持ちにさせられる。
合間に何度か挟み込まれる警察官の目のカット、彼らにとってはこれもゴキブリ退治のような「仕事」なのかもしれない。見物人達のやりとりも印象的だ。「彼らは勉強しているの?」「学生だったら私もやってみたい」…
そしてラストのストップモーション。中盤「最高ってほどじゃないけど、悪くない」と言っていたサイモンは、あの後「ファンタスティックなこと」を体験しただろうか?それとも作中のその後に体験しただろうか?


観ていてふと「クマのプーさん」を思い出した。クリストファー・ロビンは「何もしないでいるってことができなくなったんだ」と森を去る。サイモンはリンダに「あなたっていつも考えすぎよ」と言われる。さしずめ、人はものを考えるようになり、更に考え過ぎるようになり、そして「落ち着く」のが「普通」なんだろうか。何だか寂しいものだ。


調べたらリンダ役のキム・ダービーは「勇気ある追跡」の主人公、確かにああいう顔だった。あちらでは「自分のことを大人だと思っている子ども」だったのに、1年後の作品であるこちらでは「自分のことを女だと分かっている大人」になっていた。