ベニスに死す



銀座テアトルシネマにて、ニュープリント版を観賞。20代の頃のオールタイムベストの一つ。今観てもやっぱり楽しいけど、できれば、もっともっと大きなスクリーンで見たかった。


オープニング、薄明るい海の水面と小さな汽船にマーラー交響曲。クレジットの最初はダーク・ボガードビョルン・アンドレセンの名前が「introducing」されるのがいい。この役を演じるのはそうでなければならない。以前に見たことあるのを思い出すようじゃいけない。


昔も今もビョルンの「タジオ」に美を感じない私にとって、本作は全体の8割を占める(そんな印象がある)ダーク・ボガードの演技、とくに顔芸を堪能する映画。初めて大きなスクリーンで見たこともあり、その表情の演技がほとんど喜劇のノリなことに驚いた。半分ほどはタジオを見てのにやけ顔なのが可笑しい。なんて言うと安っぽいようだけど、そういう意味ではない。丁寧で分かりやすく、血が通っている。今こういう演技をする役者っていないように思う。


見ていて面白いのは、画面に映る8割がアッシェンバッハ(ボガード)の顔なら、残りの1割はタジオ(ビョルン)の顔、最後の1割は「全く関係ない人」たちの顔だってこと。そうした大勢をひっくるめて「脇役」であるともいえる。
ホテルに集う人々はもちろん、言うことをきかない「無許可」の船頭、荷物をよそへ運んでしまうスタッフ、ホテルのテラスへやってきてお金をせびる芸人たち、伝染病についてバカ丁寧に教えてくれる銀行員。アッシェンバッハは「最上級の部屋」を用意されるほどの「大物」ながら、オモテに現れている小心を嗅ぎつけられるのか、どこへ行っても軽く扱われる。世の皆は、彼の事情などどこ吹く風で好き勝手にやっている。当たり前のことだ。


それにしても、こんなに回想シーンが多い映画だってことを忘れていた。冒頭のアッシェンバッハの「砂時計の砂が落ち切る寸前になって初めて残り少ないことに気付く」というあのセリフに始まり、彼の回想により、物語の「テーマ」はあますところなく説明される。
アッシェンバッハは「美」とは絶え間ない努力により生み出されるものだと信じ、そのために生きてきたが、死ぬ寸前に、友人に言われた通り「美とは自然発生するほかない」ことを体感する…そういう話なのだ。これだけ骨格をしっかり見せておきながら、なおかつ「余地」がある、感じられるというのが、私にとってこの映画の面白いところ。


シルヴァーナ・マンガーノの登場シーンの素晴らしさ、タジオの振る舞いの意味、病に冒されることの不思議なエロスなど、他にも色々思いに耽ってしまう。
「若さ」を単純に善きものにできるというのは、幸せなことだなとも思わせられた。