おじいさんと草原の小学校



「世界最高齢の小学生」のギネス記録を持つ、当時84歳のキマニ・マルゲの実話を元に制作。監督に「ブーリン家の姉妹」の英国人監督、ジャスティン・チャドウィック


舞台はケニア。勝手にドキュメンタリーと思い込んでいたので、オープニング、草原の中の美女や思いつめたような男の顔などの「スタイリッシュ」な映像に驚く。こういう映画なのかと気持ちを切り替えても、ラジオDJが「全国民に対する無償教育制度」のスタートを高らかに告げ、子どもたちが出生証明書を手に走り抜け、送迎バス?の運転手がドアを開けながら「教育は未来への扉だ!」と叫ぶと更に中から子どもたちがあふれ出す…といった映像に、いくら何でも「作られ」すぎの感を受け馴染めなかった。しかし見ているうち、このような大きな問題を扱うには丁度いいデフォルメ具合だと思えてくる。


本作はおじいさんが「小学校」の中で色んな目に遭う話ではない。マルゲは子どもたちにすんなり受け入れられ、勉学に励む。まず早々に、彼が「読み方」を学ぶ主な理由が、何やら古ぼけた「手紙」のためだと分かる。かつて受けた残虐な仕打ちのフラッシュバックが、彼を悩ます。教育委員会?の上層部は、老人を小学校にふさわしくないと排除しようとする。加えて教員ジェーンのポリシーとその暮らし…仕事のために夫と別居生活をしていることなどが描かれる。彼女は機転を利かせてマルゲを学校に留めることに成功するが、二人は様々な嫌がらせを受ける。
このような盛り沢山な要素に加え、落語で言えば「長屋の仲間」的人々、怒ると杖を振り回して相手を叩くマルゲのキレぶりなどがアクセントとなっており、うまく言えないけど「古きよき日本映画」にも通じる雰囲気がある。


何度も挿入されるマルゲの回想シーンは、「今」と同じ、あるいはもっと鮮やかで生々しい映像として撮られている。服装や髪型、家の造りなどが私の目には「今」とそう変わらず、どのくらい前のものなのか分からない。実際、映画によく出てくる国より(ラストに映るナイロビはともかく、その村においては)変化が小さいし、そもそも私が普段ケニアの文化に触れていないからだろう。
しかし本作は、そんな私でもある程度理解できるよう、分かりやすく作られている。回想シーンではただただ、マルゲが受けた残虐な仕打ちを描き、その説明として、ジェーンの「部族主義なんて」「今は皆が同じケニア人よ」に始まり「いいケニア女のように口を閉ざしてろっていうの?」などのセリフが置かれている。マルゲは「自由」について、子どもや国の偉いさんたちに向かって語る。


「手紙」は、ケニア大統領がマルゲに賠償の権利を認め、建国について謝辞を述べるものだった。しかし彼自身は「幼い頃は白人の農場で働き、その後は自由のために戦ってきた」ため読み書きを知らず、それをずっと読めなかった…という事実に涙がこぼれた。ジェーンはマルゲの部屋で「すごく昔の写真」を目にするが、その時から何十年もの間、どうして生きてきたことだろう。彼の他にも、そうした人たちがどれだけいたことだろう。


今の日本の学校じゃ、高齢者との触れ合いをわざわざ設定してるくらいだから、作中、子どもたちの親が大騒ぎするのがいまいちぴんとこない。勿論「一つの机に五人、床に座ってる子もいる」状態だから、まずは子どもをという気持ちも分かるけど。ともあれ基本的な教育が、心の余裕の基礎になるんだなあと思わされた。