モールス



公開初日、シネマスクエアとうきゅうにて観賞。
映画「ぼくのエリ 200歳の少女」(感想)とその原作「モールス」(未読)を基にした作品。少年オーウェンにコディ・スミット=マクフィー、彼と想い合うアビーにクロエ・グレース・モレッツ


面白いんだけど…全ての場面が面白すぎて、二人の触れ合いの情感が埋もれてしまっている。また全てがぱきぱき合理的に説明されるため、観賞後、あの未解決事件の数々はどうなるんだろうと心配になる(笑)もっとも「ぼくのエリ」と比べて観たからそんなことを思うんだろう。
それにしても、リチャード・ジェンキンス演じるおっさんの狩りのくだりがあんなに楽しいのはまずい、何の話だか忘れて見入ってた。久々に聴いた「Burnin' for you」、あの場面にこれは燃える!


映画は病院での一幕から始まる。「硫酸を浴びて顔に火傷を負った」「犯罪がらみの」中年男が瀕死の状態で運ばれてくる。やってきた刑事は、口がきけない彼に「共謀者がいれば必ず捕まる」と告げる。「彼の娘」も訪れるが、面会できないと言われ姿を消す。この場面は終盤繰り返され、何かと思えば面白い効果を生んでいる。


スウェーデンの作品である「ぼくのエリ」にそういう要素はなかったけど、本作は幼い主人公が「アメリカ」の「善」を初めて意識し、自分なりに考え、そこから逃げる物語に思われた。
冒頭、病院の受付に置いてあるテレビの中で、レーガンが「悪の帝国」スピーチをしている。「アメリカには善がある、アメリカに善がなければ…」というところで場面は「二週間前」に切り替わる。子どもたちは毎朝学校で、そうしたアメリカに忠誠を誓っている。アビーの「正体」を知ったオーウェンは、毎晩酒を飲んで眠りこけている母親には聞けないため、離婚手続き中の父親にわざわざ電話を掛け「悪は存在するのか」と尋ねる。
オーウェンが初めてのデートの前にあることをする場面での「キリスト」や、ラスト近くの「ドアを閉める」場面はダサいほど目立っており、作り手の意思を感じさせる。


オーウェン役のコディ・スミット=マクフィーくんは、めちゃくちゃ可愛いフランケンシュタインといった感じの容姿。おでこが広いんだな。何度も映される、肩甲骨の上の骨?が素晴らしい。クロエ共々、頭が小さくて脚が長いから、二人だけの場面ではちょこっと不自然な大人同士みたいだった。
二人のやりとりを見ていると、大人になるってどういうことなんだろうと思わされる。いい悪いでなく、体の変化に伴う心の変化というのもあるもの。


舞台が「83年のアメリカ」なので、主人公より数歳下の私にとっては大・懐メロ大会。冒頭にあげた「Burnin' for you」はもちろん、二人がデートするドラッグストアで流れるのはカルチャークラブの「Time」。やっぱりいいな〜と思ってたところ、店員のカッコに笑う。
おっさんがイヤホンで「Let's dance」を聴いてるのも、年齢からして、「アメリカ」っぽいこの頃のボウイから聴くようになったのかなとか、色々想像してしまった。