ハーブ&ドロシー アート界の小さな巨人


公開初日、シアターイメージフォーラムにて観賞。パイプ椅子+座り観も出る盛況。
「お給料の範囲内」「アパートにお持ち帰り」という条件で現代アートをこつこつ集めてきたNYの公務員夫婦、ハーブとドロシーを追ったドキュメンタリー。彼ら本人、二人を「家族のよう」と慕うアーティストたち、芸術関係者、皆の言葉がとてもいい。時間を掛けて丁寧に撮った映画という感じ。



上映後に佐々木芽生監督による舞台挨拶あり。来てくれたことに対する感謝、2002年に二人について知り衝撃を受け、映画を作ろうと思い立ったこと、小品のはずが、彼らが「巨人」だと気付き大作となったこと、国内の配給会社に持ち込むも「現代アートの映画なんて客は入らないよ」と言われ苦労したことなど。「情熱があれば、人は予想できない所まで行くことができる」。


勿論「アート」についての映画でもあるけど、ハーブとドロシーにとって「それ」がたまたまアートだったというだけで、これは二人と、二人の「それ」についての映画だ。
大型トラック5台分!の作品があふれた1LDKのアパートにおいて、二人の居場所はリビングの机の前の椅子のみ。小さなテレビの中の映像と、猫と亀だけが動いている。「本の中身が頭に入っていれば、それを持ってるだけでいい」との例えのように、「自分が好きで、分かっているものを、所有する」。アーティストの一人が「彼らに一つでも売れというのは、私の絵の一部を切り取れというのに等しい」と言うように、人生そのものが、日々更新されるアートだと言える。ドロシーいわく「楽しくなくなったらやめるわ」。


二人が作品に向かう場面が一番面白い。私にはゴミみたいに見える物体について、ハーブに「小さな作品で偉大さを感じさせるのは難しい」と言われると、確かにそうだなと思う。
彼らは学術的な言葉を使うわけではないが、芸術に関する勉学を修め、毎日外へ出掛けてギャラリーやスタジオを回り、作品に向かう際には、その作家の全てを知ろうとする。そうすれば「分かる」。ドロシーの「だってすてきでしょ?」という言葉に至る。二人の顔のアップが多く、その目がとても印象的だ。


穏やかながらも社交的で「プロデューサー」肌のドロシー(「うちでパソコンに向かってデータを作るなんてイヤ、外に出掛けたいの」)と、わが道をゆくハーブ(「指図されたくないから、学校は嫌い」「郵便局で働いた30年間、私が芸術を好きだなんて周囲の誰も知らなかった」「他人が芸術作品をどう売買しようと構わない」)。
観ているうち、パートナーとしての二人をより知りたいという思いが湧いてくる。それに応えるように、ラストシーンは、ナショナルギャラリーの入口に刻まれた自分たちの名を見上げる二人の姿。さらにエンドロールで、楽しい場面を見せてくれる。いい気分で観終わった。