プレシャス


先日観た「17歳の肖像」と同じく、こちらも少女が「教育」により変わる話。その内容は全く違うけど、彼女たちは「教育」により、待つ身から抜け出し「自由」の可能性に気付く。


ハーレム、1987年。16歳の「プレシャス」(ガボレイ・シディベ)は、父親にレイプされ二度めの妊娠中、母親(モニーク)からは虐待を受ける毎日。学校を追い出され、フリースクールでレイン先生(ポーラ・パットン)に読み書きを教わることになる。



物語の最後に出る言葉は「全ての愛しい女の子たちへ」。プレシャスのモノローグや「彼女自身」が夢の自分を演じる空想、過去の体験などが混ぜ合わさって進む感じは、少女漫画みたいだなと思った。不幸の原因になった(さらに背景があるのかもしれないけど、ここではキリないから…)男の顔がほとんど映されず、姿を消したままというのもそれっぽい。レイプされた体験がフラッシュバックする映像において、男がベルトを外すのが印象的。あの仕草、音って、その時によって色んな…いずれにせよ何か強い感じを受けるものだ。
プレシャスは「不幸のてんこもり」状態でありながら、耐え忍んでいるふうでも、感情が消えてしまったふうでもない。しじゅう文句と物を投げつけてくる母親を適度に無視し、適度に反撃する。巨体でクラスメイトに立ち向かえば結構強い。そのへんの「普通っぽさ」が、観ていて気持ちよかった。


プレシャスの母親は、年がら年中テレビの前に座りっぱなし。テレビがなかった時代なら、こういう境遇の人ってどうしてたんだろう?なんて思ってしまった。テレビが枠ごと大写しになってるだけの場面も何度かあり、それはまるで、彼女の心の空虚さを表してるようだった。
一方のレイン先生は、家でテレビを観ない。夜の団欒(プレシャスのためか、スクラブル?をしたり)に加わったプレシャスが「テレビで観るクリスマスみたい」「テレビの討論番組みたい」と思うのが、せつなく可笑しい。


プレシャスは彼女なりにおしゃれに熱心だ。就寝時には前髪を丁寧に巻き、外出時には鮮やかな色のスカーフやネックレスなどの小物をあしらう。鏡台の前には幾つもの身だしなみ用品が並ぶ。買い物の様子は出てこなかったけど、どんなふうに選んでるのかな?と思った。
終盤プレシャスは、愛用していた赤いスカーフを、同じ建物に住む女の子の首にそっとかけてやる。深読みすれば、自分同様に虐待を受けている彼女が、あと数年はそれを必要とすると考えたのかもしれないけど、過去の自分の「お守り」を粗末にしない所がいいなと思った。
そしてその時、プレシャスは、これまでの「細く、肌が白く」なりたいという気持ちが、「今のままでいい」に変わっていることに気付く。目の前の大きな鏡に、初めてそのままの彼女が映る。


看護師役のレニー・クラヴィッツ、食事はやりすぎじゃないかと思ったけど(笑)いい男すぎる。「退院したらマクドナルドを好きなだけ食べるんだな、でもここでは健康に気を付けて」という言い様、プレシャスの友達にからかわれた時の引き際もいい。