月に囚われた男



恵比寿ガーデンシネマにて観賞。平日の雨の夜、観客は30人くらいってところ。


ダンカン・ジョーンズの初長編作。
近未来、燃料生産会社ルナ産業の社員サム・ベル(サム・ロックウェル)は、エネルギー源採掘作業のため、独り月面に派遣されていた。任期終了まで2週間となったある日、作業中の事故で意識を失う。目覚めると、そこには自分と瓜二つの人間がいた。


観ながら「なぜ?」と感じる部分が幾つかあった。大企業がたった「一人」を派遣する。ロボットやコンピュータが「近未来」のものに見えない。ロボットの言動の基順が分からない。サムはどうやって助けられたのか…など。これらは、実際に行われる場合にはそういうものであるか、あるいは古いSF作品のオマージュなのかもしれない。いずれにせよ、そうした曖昧さは、基地内部の真っ白な柔らかさに溶けてゆき、邪魔にならない。雰囲気としては、昔の萩尾望都の漫画を思い出した。


(以下ネタばれします)


映画の「主人公」への感情移入が揺さぶられる構造が面白い。
くたびれ果てた古いサムに対し、目覚めたばかりのクローン人間である新しいサムは、しゃきっとしており、「非人間」的な、不穏な存在に見える。サングラスの影からこちらを窺い、「おれの」娯楽室を勝手に…暴力的に使い、話しかけても、不快な動作で音を立てシャットアウトしてくる。新しいサムは、古いサムとのやりとりを通じて「人間」的になってゆく。しかし古いサムは、たった一人で3年を生きて、ああいうふうになった。「人間」になるのに何が必要なのか?性分と環境。時間を経るということ。


印象的だったのは、古いサムと新しいサムとが、共有している記憶の話をするシーン。二人は妻との出会いを楽しそうに語り合い、古いサムは笑いながら意識を失ってゆく。苦痛をやわらげるため、新しいサムがこの話題を振ったのだろう。この場面に意外な感じを受け、私は「記憶」は自分だけのものだからこそ価値がある、「記憶」は「移植」すればするほど「薄く」なる、と思ってることに気付いた。
別のシーンでは、サムがサムに言う…「あいつを殺すことなんてできないよ、おれにも、お前にも」。なるほどクローンだから、自分がそうなら相手もそうだって「分かる」のか。これも体験し得ない感覚だ。


「つなぎ」好きとしては、こういう「作業員もの」(正確には「宇宙飛行士」だけど)って楽しみなものだけど、そもそもサム・ロックウェルは私にとって特にかっこよくないし、この作品では新しいサムが卓球をする時、つなぎを腰まで下ろして結ぶ姿だけが良かった(笑)