シェルター


バルト9にて観賞。



「こう考えたら?自分の見たことこそ現実なんだと」


精神分析医のカーラ(ジュリアン・ムーア)は、「多重人格」とみられるデヴィッド(ジョナサン・リース・マイヤーズ)に引き合わされる。「多重人格」を認めないカーラが彼の身辺を探ると、意外な事実が次々と判明する。


今更ジュリアン・ムーアジョナサン・リース・マイヤーズかあ…と思いながら、どんな話か知らずに臨んだところ、ジュリアン出演作の多くがそうであるように、彼女の魅力で楽しく観られた。
上唇の上のしわ(老婆のしるし)、寄せも上げもしない胸(夜はノーブラ)、寸詰まりって感じの横顔、どれも見ていて心地いい。スクールガール風の格好(コートの下にタートルネックとプリーツスカート)を色違いでコーディネイトしてるのが、私も気に入った衣類は色違いで揃えるタイプなので、共感しながら観た。



「医者として科学を信じ、人として神を信じる」というカーラ。彼女の「多重人格なんてマスメディアや映画が作り上げたもの」というセリフから、それじゃあ、この映画ではどんなものが見られるのかな?と思っていたら、多重人格ものじゃなく、いわゆるオカルトだった。でも、へんな言い方だけど、「オカルト」としての謎解きが合理的にされていくので、すっきり観られる。


冒頭、ジュリアンとジョナが入った部屋のドアを捉えるカメラからずっと、「ジュリアン・ムーアに危険が迫る」という感じの撮り方がされる。大仰で俗っぽい音楽もそれを煽る。しかし不思議と、いい意味で落ち着いて観ることができる。実は胸の十字架(に表れている信仰心)が彼女を救うんだけど、私が安心して観ていられた理由は、ジュリアンが「触られる」のでなく「触る」側の女だから。そこに生命力を感じるから。昔から彼女って、そういうイメージがある。この作品内でも、幾つかのシーンでジョナに触れ、時には廃屋のバスルームのカーテンをつかんで謎に迫る。「母性」「肉食」なんて言葉ではしっくりこない、ジュリアンのそういう「触り」ぶりの良さを、改めて感じた。


大変な目に遭う、ジュリアンの弟の部屋で大きく目立ってるのは、ジョイ・ディヴィジョンと「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のポスター。ちなみに監督はスウェーデンの二人組だそう。