パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々


観終わって同居人が「こんなくだらない映画、久々に観た」「でも楽しかった」…私もそう。冒頭から爆笑させられた。「人間がデカイ」ってだけであんなに可笑しいなんて。



アメリカでハリー・ポッターより売れた」原作を、クリス・コロンバスが映画化。
ADHD難読症の少年パーシー(ローガン・ラーマン)は、ある日、自分が海の神ポセイドンと人間の母親との子どもだと知る。全能の神ゼウスに「稲妻を盗んだ」疑いを掛けられ、冥界の神ハデスに母をさらわれた彼は、仲間と共に神々目指してアメリカ横断の旅に出る。


ハリー・ポッター」シリーズの時と同じ疑問を抱きながら観た。すなわち、この子どもたち(半神半人の「デミゴッド」たち)は、なぜああいうキャンプに通うのか?何のために訓練を受けるのか?
「特別な力をうまく使うため」の学校、と言うので何をするんだろうと思っていたら、剣を振り回して戦いの練習ばかり。冒険の果てに、ハデス(スティーヴ・クーガンの無駄遣い/あんなギターの「ミック・ジャガー」ってない)の「じゃあお前、何しに来たんだ?」という問いに「話し合いに…」と答えるパーシーを見る目が変わったと思いきや、一騒動終えてやっぱりキャンプに戻る。色々事情はあるんだろうけど、自分の力に酔ったか?と思ってしまった(笑)


興味深かったのは、パーシーが父親であるオリンポスと対面するシーン。知の女神アテナとその娘は、同様に初めて顔を合わせたのにも関わらず互いにさっと場から離れるが(そういう神様なのかな?よく分からない)、オリンポスは「ちょっと話を…」と息子に近寄る。
二人は抱きしめ合ったりしない。パーシーは「なぜ僕らの所に顔を出さなかったんだ?」と問う。父が「神としての仕事が出来なくなるから」と理由を述べると、パーシーは彼を「人間(?)としては認めるが、父親としては認めない」とでもいうような顔で見る。血のつながりだけじゃ家族になれないのだ。手を離す際の、息子の「はあっ」というため息が、まあしょうがないかとでもいうように感じられて面白かった。


パーシーの守護神であるサテュロスグローバーが「まだ下級だからツノがないんだ」と言うので、山岸凉子の「妖精王」を思い出した。しかし彼等は(「妖精王」の二人のように)助け合うことはなく、守護神の方が身を呈してばかり。
最後に再会したらツノが生えてるので、「女」と一緒だったから?と思っていたら「頑張ったからゼウスが生やしてくれた」。やっぱりそういうの、神から与えられるものなんだな。


「half god」同士で子を成すことだってあるだろうから、神の血は4分の1、8分の1と次第に薄くなってくのかな?そうすると血が濃い方が「偉い」ってことになるのかな?馬鹿みたいじゃない?と言ったら、同居人いわく「(稲妻を盗んだ)○○はそういうふうにしたくなかったのかも」。彼の望む「新しいイメージの世界」に興味が湧いた。後の作品で判明するのかな?