ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢


試写会にて観賞。予告編を見て楽しみにしてたけど、本当に面白かった!
2006年に再演された「コーラスライン」のオーディションを追ったドキュメンタリー。3000人の応募者の中から選ばれるダンサーは17名。




「これは、アメリカのある1グループの記録だ」


…とは、「コーラスライン」の生みの親であるマイケル・ベネットが、ダンサーを集め「車座になって、安ワインを飲みながら」聴き取り調査をした際の言葉。
世の中には「ダンサー」という人種がいる。映画は「誰でも受けられる」オーデション会場に、彼等が長い列を作るシーンに始まる。エンディングにも再度その姿が映る。作中では多くのダンサーが「コーラスライン」について「これは『私たち』の物語」と口にする。
私からすると単純に、普段は知らない人たちの日常が垣間見られるという点で面白い。最後に再度「One」が流れると、それはもう、違ったものに聴こえる。


観る前は、オーディションの映像に、ダンサーの普段の生活…どんなところに暮らし何を食べているのか、どのようなトレーニングをするのか…といったことが加わるのかと思っていたけど、そういう描写はほとんどない。その代わり「コーラスライン」誕生に関する逸話がふんだんに挿入される。「コーラスライン」に関する知識の少ない私でもじゅうぶん楽しめたから、思い入れのある人なら尚更だろう。
(初演時の映像がしょぼいのは、ミュージカルはナマで観るものってことなのかな?メインとなるオーディション風景の映像もきわめてラフなかんじを受ける)


まず思ったのは、アメリカ人…というかアメリカに生きる人は皆、とにかく物事を楽しむものだ、ということ。ダンサーへのインタビューでもそうした言葉が何度も出てくるし、審査員にもジョークを交えて対等に振る舞う。「(オーディションの場では)おれが主役」と言い切る者もいる(このセリフは爽快で惚れた)。
同時に、3歳の頃からダンスを習い「私にはこれしかない」「他には何もできない」と言うダンサーの姿に切なさも感じた。しかし他のダンサーの父親…バレエダンサーだったが膝を壊し引退した男性、子どもを抱えた昔の写真がとても良い…の「後悔はしていない、愛するものに身を捧げたんだから」という言葉にほっとさせられる。



「だから私は『コーラスライン』が好きなんだ」


服装のことも気になった。想像していたより、皆ラフな格好だ。セーターに穴の空いている女性もいた。もっとも役柄に合わせて、あるいは験を担いでいるのかもしれない。加えて、ストッキングは特別なものなのかな?ブラジャーを付けずに踊りにくくないのかな?など、素朴な疑問が湧いてくる。
ダンサーにとって「鏡」の持つ意味が語られるシーン、踊りをやめて喋り始めた途端にライトがまぶしくなるのか、手をかざすシーンなども印象に残った。
予告編にも使われている、ポール役の彼の演技には涙が出てしまった。本当に不思議、まさに「演技」なのに…


オーディションを受ける中には(カメラが捉える中には)日本人の女性もいる。彼女(高良結香)が狙うのは、低身長に悩むコニーの役。審査の側には初演でコニーを演じ、今回は振付を担当するバイヨークが目を光らせている。情熱的に演じるユカを、皆は「なかなかいい」「君(バイヨーク)みたいにキュートだよ」と評するが、バイヨークは「違うわ、私は戦う女よ」と言う。彼女はインド人と中国人の両親を持つ、チャイナタウン生まれのダンサーだ。指導の際のエネルギッシュな姿は、いつまでも見ていたくなる。



「いつからアメリカにいるの?」
「98年から」
「そう…5歳からFのシートを争ってるようじゃなきゃ、この役はできないわ」


しかしコニー役は彼女に決まる。
(ダンサーという「人種」…その中には当然、様々な容姿や母国語を持つ者がいる…を見ていると、自分と同じ出身の日本人を応援したい、という気持ちは湧いてこない。皆に対して均等に、ある愛しさのような気持ちが湧いてくる)
作中のエピソードによると、マイケル・ベネットは、試演に来たマーシャ・メイスンの「これじゃあ観客は喜ばないわよ」という言葉を受けてラストを書き直し、成功に繋げたという。当たり前だけど、客観的であろうとする姿勢、より楽しんでもらおうという姿勢が伝わってきて良かった。