ノーカントリー


1980年、テキサス州西部。元溶接工のベトナム帰還兵モス(ジョシュ・ブローリン)は、銃撃戦の跡地で見つけた麻薬がらみの200万ドルを持ち帰った。組織の殺し屋シガー(ハビエル・バルデム)が彼を追い、彼等を保安官のベル(トミー・リー・ジョーンズ)が追う。



絶妙にコントロールされたひとつひとつの場面、全篇に渡る緊迫感が最高に面白い。
こういう映画は、登場人物に対し「有無を言わせない」。例えばモスが、トランクを持ち帰った夜中にふと起き出して生存者に水を持っていくくだりなど、日曜洋画劇場モノあたりなら「あんなことしなきゃいいのに…」と気を揉んでしまうところだけど、そんなこと頭を掠めもしない。一連の映像が美しく、魅せられるからだ。


酸素ボンベから伸びる空気銃を抱えたシガーは、彼を知る人間、対峙した人間皆に「狂っている」と評されるが、自身のルールに真面目に従っているだけだ。
殺すか否かのコイントスを断るモスの妻に「あなたが決めるのよ」と言われ、妙な顔をするシーンが可笑しい。その直前、彼女は「殺す必要はないわ」と口にしている。シガーは「皆そう言うが…」と返すが正にその通りで、必要か否かを判断するのは他人でない。その後にそんなことを言われたら、妙な気持ちにもなる。
もし私ならやめてくれと「頼む」が、殺されるだろう。シガーのルールでは、言動や感情でなく単に関係などの「事実」、ときに「偶然」が判断の基準となる。
しかし(いわゆる雑魚キャラ以外の)登場人物は、「客観的」に彼を説得しようとする。自分の感情を吐露する者はいない。それは人工的なストイックさにも感じられ、ミニマムな映像や音楽(の無さ)に相まって映画をより美しくしている。


語り手である老保安官のベルは、冒頭「『理解できないもの』に命を賭けたくない」と嘆いている。やがて彼はシガーという「理解できないもの」と対峙し生き延びたが引退し、ラストシーンで妻に昨夜観た夢を語る。晴れた朝食の席だが、窓はきっちり閉められている。彼はシガーの残した牛乳を飲みながら風に吹かれたが、ここに風はない。
原題の「no country for old men」とは、誰もが老いるのだから、誰にも故郷はないということだろうか。ベルの観た夢のように歩き続けるだけ。しかし彼はそのことを受け入れ、父親が待つ「死」の世界に淡々と向かっていくだろう。シガーについても、最後に歩み去る姿に同様の感を受けた。3人の中ではモスのみが、死によってその行から逃れる。


それから色々。
・シガーの武器は、車社会ならではだな〜としみじみ思った。日本なら持ち歩けないし、車を停める場所を探してる間に逃げられてしまう。
・ベルの部下の保安官は制服の下に白シャツを着込んでいるが、彼自身は素肌の上に直接着ている。世代差なのかな。
・モスは「小奇麗なブロンソン」みたいだった。私の中には子どもの頃から、ああいう男性に惹かれる気持ちもある。一カ月くらい一緒に暮らしてみたい。
・モスの妻(ケリー・マクドナルド)がトレーラーハウスでモノクロ映画を観ている。欧米映画ではよくそういうシーンがあるけど、向こうじゃ古い映画を適当に使い回して放映しているんだろうか。ちなみに「地上5センチの恋心」には、「雨月物語」をけらけら笑いながら観ているシーンがあった。
・モスやシガーの行く先々で、おばさんが働いている。おじさんの生きる国はないが、おばさんはそんなこと考えもしないように感じられた。ベルの夢の話を聞く奥さんは、何を思っていたんだろう?



「妻を待ってるとこだ…半分は。残りの半分は、何が起こるかを待ってる」(モス)


「おれはそのうち、神が自分に宿ってくれるもんだと思っていた。そうじゃなかった。でも恨みはしないさ」(ベル)


「(大勢でかかれば成功するというのは)間違っている。正しい道具を遣うべきだ」(シガー)