ブレードランナー ファイナル・カット


私は「SF」が苦手だ。どんなジャンルにおいても、人が食べたり喋ったりしている、自分と地続きの話のほうが楽しくて、清原なつのの漫画も大人になるまで敬遠していたし、好きなSF映画といったらジョー・ダンテの「エクスプロラーズ」くらいしか思いつかない(イーサン・ホークが可愛すぎる)。
だから「ロボット」とは何なのか分からないし、あえて考えないようにしている。



でもこの映画…今回の観賞は最高に面白かった。とにかく映像が楽しい。冒頭のシンプルなクレジットに続くロスの夜景、火を噴く鉄塔(何を作ってるんだろう?)、タイレル社のピラミッド。それでもつい、それぞれの住居の汚さ、乱雑さに目がいき、暮らしにくそうだな〜などと思ってしまうけど。
それから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないけど、強烈に「80年代」を感じた。なぜか頭に思い浮かんだのは「時をかける少女」と「サブウェイ」。加えて当時のデヴィッド・ボウイ


SFものに限らないけど、例えば、女レプリカントジョアンナ・キャシディ)がデッカードハリソン・フォード)に撃たれるあのシーン。「誰かが誰かに撃たれてる」だけなのに、スローモーションの映像にメロウな音楽がかぶるなんて、へんな気がする。それが映画なんだけど。そこでへんな気にならない、つまり考えてしまう隙を与えない映画が、自分にとっての「いい映画」だ。「ブレードランナー」には、考える隙を奪われた。


ダリル・ハンナは好きな女優だ。いつも「へんなことをする」役、というイメージがある(「スプラッシュ」「夜霧のマンハッタン」などの影響)。レプリカント役では、長い太股の隙間が、若さにまかせた乱暴さを感じさせて良かった。
レプリカントが正確にはどのようなものなのか知らないので分からないけど、それぞれ使用目的に沿って、ショーン・ヤングはああいう服装・髪型をするように、ダリルはああいう格好を好み、身につけるように、インプットされているんだろうか?だとしたら、セバスチャン宅でダリルが自分に施す化粧は、どういう気持ち、どういう欲望の表れなんだろう?そこのところが一番心に引っ掛かった。


違う意味でもう一つ引っ掛かったのは、ハリソンとショーンのラブシーンにおいて、彼が言う「Say”I want you”」というセリフが「『抱いて』と言うんだ」と訳されていたこと。これは違和感があった。


それにしても、ハリソン・フォードは何だかんだ言って頼りになる。もっともバーに入るシーンでは、いつジャバザハットが出てくるかと思ってしまったけど(笑)あとルトガー・ハウアーは、肉が付きすぎだと思った。