この道は母へとつづく


Bunkamuraル・シネマにて。
予告編「ゼロ時間の謎」「やわらかい手」が流れる。前者はずいぶん前から楽しみにしてるもの。クリスティは子どものころ好きで集めてたけど、中でもこの話は何度も読んだ。「犯行が起こる時がクライマックス」という推理小説メルヴィル・プポーの坊ちゃんテニスプレイヤー役が新鮮だ。前妻のケイは、私の中では大竹しのぶなので、ドヌーヴの娘という女優さんは大味でちょっと違うんだけど(笑)



ロシアの片田舎の孤児院。6歳のワーニャは、業者の手引きでイタリア人夫婦の養子に選ばれる。しかし「ほんとうのママ」が迎えに来るかも、と考えた彼は脱走し、母親のもとを目指す。


今年観た中で一番面白かった。ポスターからしんみりした話なのかと思ってたけど、ドキドキさせられる冒険活劇だった。
前半は孤児院という「閉じられた世界」、後半は「悪者からの逃亡劇」が楽しめる。はじめは冬だったのが、やがて寒さの中にも日差しが降り注ぐ春になる。また前半は、車内や室内からのくもりガラス越しの情景が多いのも印象的だ。よく見えずもどかしい。しかし意を決したワーニャが外に出ると、世界は明瞭になる。


そして、はじめと終わりが面白い。
ロシアとフィンランドの国境。ちょっとポランスキーの「袋小路」を思い出すシーンに始まり、「これぞロシアね」という登場人物のセリフに同意して厳寒に肩をすくめ、最近では「リトル・ミス・サンシャイン」以外に○○○○シーンが面白い映画があったんだ〜と思う。そして孤児院に到着。
ラストはどうなるのかな?と思っていたら、直球の幕切れ。涙が出る間もなく嬉しかった(映画観て涙が出るのって、さして気持ちいいものでもないから)。


施設では、二段ベッドが所狭しと置かれた部屋に子どもが詰め込まれている。自分が養子を取るとして…子どもを選ぶとして、「どれ」にするだろう、とムリヤリ想像してみても、私が子ども苦手ということもあるけど、区別すらつかない。しかしどの子も、見てる分にはいい顔だ。
同行者は「あんなとこじゃエコとかロハスとか言ってる場合じゃないよな〜」と言ってたけど、外は凍りついてるのに、中の子どもたちはランニングシャツ姿。ボイラーががんがん焚かれ、煙突からは常に煙が流れている。


それにしても、こういう映画を観ると、日本がいかに「きちんと」しているかあらためて認識させられる。バスは路肩に乗り上げながら走っていくし、少女は雪の中、ジーンズの裾をふくらはぎの真ん中くらいまで濡らしても平気だ。
食事も、ボイラー室で自給自足している年長孤児達のディナーは、皮ごと茹でただけのじゃがいもとパン。あんなの食べられないよ…
(でも、駅で売られてた「キャベツのピロシキ」はちょっと、食べてみたい・笑)


道中にはいろいろなことが起こる。ワーニャは知恵が回るが、困難にも遭う。手助けしてくれる大人もいるが、子どものアタマにあるのは自分の目的のみで、礼も言わず恩人を後にする。そのあっさりかげんが爽快だ。


一番印象に残ったのは、養子縁組業者のマダムが、孤児院の子ども達のプロフィール写真(というか「宣材」)を撮る場面。シートの前に立たせ、ぬいぐるみを持たせる。
ぬいぐるみを持つとき、頭を自分の方に向けて抱えるか、外に向けて抱えるか。一人っ子の私はぬいぐるみをたくさん持ってたけど、抱えるときには自分と向き合うようにしていた。今でもそうするだろう。映画では、ぬいぐるみもコチラを向いている。何も通っていないぬいぐるみを見て、悲しいような、可笑しいような気持ちになった。