バッハの思い出から


Glenn Gould 「The Little Bach Book」聴いてます。ジャケ写は11歳のころのグールド本人。装丁も中身も可愛らしくて、好きな一枚。


子供のころ、毎週土曜日にピアノ習いに行ってたんだけど、当日までほとんど練習してなくて、学校から帰ってきて(当時はいわゆる「半ドン」)、ゴハン食べて、どうしようどうしようと思ってるうちに両親が迎えに来て、オヤツ食べて、車に乗せられて…練習してきたフリしようとしてもダメだよね、だってピアノにたてかけた本がまっさらで折れてなくて、バサッと倒れてくるんだもん(笑)
とはいえ、バッハは両手を平等に使えるし、指が短くてもさほど支障ないので、弾くの好きでした。「2声のインヴェンション」はも〜何度も何度も弾いた!3声の途中で本やめちゃったけど…


私は人の演奏聴いても上手いとか下手とか、あまりわからないのですが、一度だけピタリと当てた?ことがあります。昔つきあってた人が、コレでギター習ったんだよ〜と古い「教則本」についてる練習曲のレコードを聴かせてくれたんだけど、バックで鳴ってるピアノが信じられない程ヘタ。「なにこれ?ヘタだね〜」と言ってしまった。
そしたら後日彼が、「○○ちゃんすごいよ!あのあと本読み返してたら、あのピアノ、著者の娘の小学生が弾いてたんだって。よく見破ったね〜」と。って小学生のピアノじゃ、誰でもわかるか。


ドラマ「砂の器」放映してるとき、「中居くんがピアノ弾くときのアクションは大袈裟すぎる」という意見をウェブ上でいくつか目にしたのですが、ピアノ(クラシック)弾くときって、我知らずオーバーアクションになってしまうものだ。私の感覚では、上手い下手関係なく、年とるほどに動きがちになってしまう。
それは、単純に、音楽の力によるものだ。たとえば「愛の夢」ならふ〜ん愛の夢かあ、「月光」なら月光かあ、となんとなくイメージ湧くけど、そういうわかりやすいタイトルついてるほうが珍しくて、たいていはなんたらニ長調とか、それでもその音の調べに、心も身体も動いてしまう。
音楽ってそういうものだと思うから、私は、ポップスなんかでも、感動を言葉に頼ってるのはあまり好きになれません(勿論、世の中には、メッセージからうまれた音楽もたくさんあるけど、ここではいわゆる歌謡曲の話)。
人が言葉を歌う、というのは素晴らしいことだけど、もっと、言葉の響きや行間を大事にしてほしいというか…