人生は小説よりも奇なり



オープニングはベッドの上の二つの足の裏、よく見ると「二人」だと分かる。身支度をしてアパートを出るベン(ジョン・リスゴー)とジョージ(アルフレッド・モリーナ)。壁に掛けられた数々の絵、キッチンでは花が活けられ、そのうちラザニアの匂いも漂うんだろう。結婚式での「皆さん『日常を忘れて』二人の愛を祝いましょう」との言葉に少々の不安を覚えるが、これはそういうところに留まる話ではなかった。


(以下「ネタバレ」あり)


映画の終わり、少し「成長」したジョーイ(チャーリー・ターハン)は「この絵の、塗られなかった部分の色を想像するのも楽しい」と言うが、この映画にはまさにそういう良さがある。ベンとジョージの、冒頭の朝にはしていなかった指輪の交換、「豪華なハネムーン」や「失業してからの大変だったあれこれ」が省略されるのは当然!だとしても、二人の言動の端々から見える過去(「フランク」はどんな男だったか?)、ジョーイの部屋に二段ベッドがある理由や「(友達について)あの頃はよく来てたから」なんてセリフに窺える「その後」、一度だけ映る、ベンの姪の作中唯一の犬やタバコに彩られた「郊外」の「日常」、それらは全て、厳然たるものとして「在」りながら、その内容はどう想像したって構わないという余裕を備えている。
そんな映画だから、ベンが絵を描く屋上からの眺めがゆったりと映されるあの時間は、見ている私の何を仮託してもいいような、とても豊かで優しいものに感じられる。変なことを言うようだけど、あれこそ「大人」にしか撮れない映像だと思う。


ベンの遺した絵について、ジョージは「絵だけは守ろうとしたんだ」「絵は彼の全てだった」と言うが、絵が階段から落ちなかったのは彼が「守った」からではないと私は知っているし、果たして「絵が全て」だったのか疑問に思う(ただしジョージが本当にそう思っているか否かも「分からない」。自分、あるいはジョーイに向けて言っているだけかもしれない)
しかし重要なのは「慮る」こと。ベンはジョージに「僕の個展が実現しなかったら失望する?」と訊ねる。自分の絵の評判について、自分の気持ちよりも彼がそれをどう思うかが気になる。39年間一緒であっても「分からない」部分があり、それを埋めようとする、その営み。私が「映画の『語られなかった部分』を想像する」、いわば相手の知に甘える愉しみとは全く違うものであり、自分は日頃、それをしているだろうかと考えた。


全編を通じて、「子どもたち」への思いが伝わってくる。冒頭のパーティの場面はジョーイの顔で終わる。場面換わってジョージが勤務先の学校からクビを言い渡される勤めるくだりは、彼が指導する子ども達が合唱する姿に始まる。
ジョージが保護者に宛てた手紙の、一言一句が美しい文章も、「子どもたち」のために書かれたものである。彼は生徒である少女の弾くピアノを聴きながら、この世界と彼らのことを思って涙を滲ませる。「(同性愛者であると)知っていてのご支援に感謝します」「これを機にお子さんと正義について話し合って下さい」「彼らが自分の真の姿を隠してしまわないように」「嘘のない世界は素晴らしい」「人生は苦難の連続ですが、正直に向き合えれば少しは楽になります」。「不義を喜ばず、真実を喜ぶ」という引用から、クビを言い渡された際に「なくなることはない」と語った彼の信仰心も伝わってくる。


終盤の音楽会の席で、ジョージはベンの手をそっと握る。その後の店でセクシャルな会話になるのがいい。人の体にはセックスの歴史も染み込んでいる。二人は今や、同じことを肴に同じように笑う。その後にストリートを歩く速度がとてもゆっくりなのは、分かれたくないからか、ベンの心臓を気遣ってか(これは冒頭、慌てて家を出る二人の姿と対になっているように思われた)
ジョージは少女にピアノを指導する際「メトロノームをよく聞くんだ、リズムに忠実に、特にショパンは」と言うが、さすれば随所で流れるショパンの調べは、彼が大切にしたく思う二人のリズムを表しているのかな、などと考えた。私もあの曲、子どもの頃に弾いたものだけど、ピアノの先生はどうやって教えてくれていたものか、すっかり忘れてしまった。また誰かに何かを教えてもらいたいなと思った。大人になってからでもいいなら。