筒井漫画読本/地球防衛家のヒトビト/ブスって何?


「筒井漫画読本」読み返す。
筒井康隆作品を17人の漫画家(けらえいこから三条友美まで)が描いたアンソロジー。95年初版。
(そもそも筒井康隆自身マンガ描いてたことがあり(「つるんづの漫画大作戦」このページ参照)、ちょっと読んでみたいな…)
相原コージ吾妻ひでおあたりは筒井康隆の子供だからか、当たり前すぎてあまり読み応えがない。だけど、私の好みなんだろうけど、同じいわゆる「不条理作家」でも、しりあがり寿の「樹木 法廷に立つ」はやっぱりいいんだよなあ。蛭子能収「傷ついたのは誰の心?」も、素のパワー(笑)なんだろうか、面白い。蛭子さんの漫画って、とくに初期のはすごく面白いんだけど、あまり出回ってないから読めないんだよね…
とり・みきが「既成漫画の模写引用」で描いた「万延元年のラグビー」は圧巻だけど、いかんせん私が一見してわかる元ネタはほんの一部なので残念。
最後にちょこんと掲載されている、いしいひさいちの「大」富豪刑事が可笑しいです。


そういえば、しりあがり寿関連で「地球防衛家のヒトビト」(ASIN:4022579242)買いました。朝日新聞の夕刊に連載されてる時事4コマだそうだけど、私は夕刊読む習慣がないから初読。時事ネタといっても例によって気軽に読めます。
だけど私は、同じ時事モノならブロスでやってる「はなくそ時評」のほうが好きかも…(笑)ただでさえ時事ネタでキチンとしてるうえ起承転結まであると、しりあがり寿の持ち味が薄れてしまうような気がして。ブロスのほうはひとコマだからね。
しかしこの人は何描いても、根はマジメで愛があるのが伝わってくる。


話は「筒井〜」に戻って。
まつざきあけみ「イチゴの日」は、自分のことを「絶世の美女」と思い込まされて育ったブスの話。ちなみにまつざきあけみ南原企画から出てる「ぼくらは青年探偵団」を持ってます。いわゆる耽美ギャグ作家ね。
私は筒井康隆の原作を読んだことがないからってのもあるけど、この話、「悪魔の花嫁」の「バラの影」(新書版5巻、文庫2巻収録)というエピソードを思い出してしまう。
冴えない容姿にコンプレックスを抱く美子(池田悦子先生、容赦ない名前だ)は、空家に飾られた絵の中の美少年に語りかけることだけが心の支え。
ところがある日、その絵とうり二つの少年が現れ、彼女を学校の音楽祭に誘う(勿論悪魔(ディモス)の仕業)。舞い上がる美子。ところが彼いわく「ほかの人間に会うのは生まれて初めて」。他の女の子を見れば、自分は嫌われてしまう!そう思った美子は…
私がコレ読んだのは子供のころだったのですが、「その彼は、初めて彼女以外の人間を見て、美人とかブスとか、判断するものだろうか?」と釈然としなかったものです。
漫画版「イチゴの日」では、「美女と思い込まされている」ことを知らない間の主人公はいわゆる「美女」に、知ってしまってからは「ブス」に描かれているのですが、私の感覚では、自分を美人と思うことは、「自分の容姿を美しいと思う」ことであり、「鏡に映る自分が世間の美人の基準に合致して見える」ことではないので、なんかこの話(の表現の仕方)も釈然としない。とはいえ最初から「不細工」に描いてしまうと全然面白くないから、ようするに活字向きの話なのかもしれない。


ヒマなとき、たまに鏡で自分の顔を眺めたりします。私にとって自分の顔は、美醜や好き嫌いという次元を超えた、大袈裟な言い方すれば還るべき故郷、みたいなものだ。だから落ち着く。
自分の顔を視覚的に知る手段がない世界においては、個人のアイデンティティーってどう違うんだろう?不謹慎な言い方だけど、目の不自由な人はどうなんだろう?外界も自分もどちらも情報がないんだから、同じようにバランスとれてるんだろうか。