花束みたいな恋をした


映画「デート&ナイト」の冒頭、レストランで近くの夫婦を茶化して喋り倒すティナ・フェイスティーヴ・カレルが私は大好きなんだけど(これはアメリカ映画でよく見られる「気の合う二人」の描写、彼らの場合は「倦怠期」だけども)、それ以前の二人はどんなふうだったのか、というところから描いてるのがこの映画だと言える。各々が心の中で延々つぶやいていたことが出会いによって口から出て交わるようになるのが面白かった。髪を乾かしてもらう、乾かしてあげる場面では更に違うふうに重なる。でもって「恋」が生まれてしまうのだ、厄介なことに。

友達の結婚式からの帰り道、私達は絹(有村架純)が「あれよりましだと思うようにしてる」ことを麦(菅田将暉)にまだ話していなかったことを知る。彼女はその晩の「これだけ付き合っても知らないことってあるんだね」に思うところがあって駆け込みのように口にしたのだろう。それからの三か月のあまりに楽しそうなのを見ると、恋愛というもののいびつさばかりを思ってしまう。一緒にいれば楽しいんだから友達じゃダメなのか、なぜ恋人、あげくに結婚にこだわるのかと。だから私にはこれは、就職難や労働環境といった問題というより、社会によって作られた「恋愛」に押し潰される二人の物語に思われた。歳を取ったらもっと自由になれるんじゃないかと思う。

麦の本棚を見た絹が「ほぼほぼうちと同じ」と言っていたけれど、新居に越す際に彼女は自分の本を実家に置いていったのだろうか。同じ本が二冊ずつ並んでいるのかそうでないのか、目をこらしてみたけれどよく見えなかった。そんなに量はなかったから、やっぱり「二人で一冊」にしたんだろうか。誰かと暮らすというのは他人の買った本を家に入れるということである。麦が本屋で見ていたあれが本棚に並ぶのを、絹は許せるだろうか。もちろん持ち物を別にするという手もあるけれど、それは「どういうつきあい」かによる(そしてその点でも、歳を取ることで幅が広がることが多いと思う)。ともあれこのことと、イヤホンの話、「恋は一人に一つ」とは繋がっているはずだ。

この話では重要な点ばかりがばっさり切られている。例えば「新卒で就職しないと人間じゃない、みたいな扱い」の家を絹はどうやって出たのか。二時間の映画じゃ尺が足りないだろうけど、出すだけ出しておいていつの間にか溶けている問題があまりにあるように思われた。ちょうどドラマ「ミセン」(2014年韓国)を見終わるところというのも悪かった。優劣以前に、若者が大企業で成長してく様を20話もかけて描いているのを見た後では、二時間内で全部ひっくるめて語る本作には、えっもう会社の人になったの?と思わざるを得ない。

しかし実は一番言いたいのは、バイト先で行われている不倫や麦の先輩の暴力などの扱いについて。あんな不真面目に、あるいは中途半端に扱う位なら他の何かで代用できなかったのかと思う。こういう問題にはテアトル新宿においてよく遭遇する…すなわち日本映画によくある問題ということだ。外国映画は日本に入ってくる際にいわば検閲を受けているわけだから、日本映画にばかりそういうのを見てしまうのかもしれないけど。