男と女 人生最良の日々


ルルーシュの「アンナとアントワーヌ」(2015)にはぴんとこなかったけれど、本作のアヌーク・エーメが語りかけてくるだけのファーストカットはあまりに「ヌーベルヴァーグ」で胸がいっぱいになった。ヌーベルヴァーグに思い入れがあるわけじゃないけれど、すてきなセンスが生き続けていることに感激した。この感じが最後まで続く。とても面白かった。

「男と女」(1966)製作50周年記念デジタル・リマスター版を見た際、アンヌ(アヌーク・エーメ)もジャン・ルイジャン=ルイ・トランティニャン)も何てつまらない人間なんだ、いやこれは序盤のアンヌの「愛は人を特別な存在にする」という言葉の意味が立ち上がってくる映画、誰かに心動かされるとき誰もがああいうふうになれるという映画なのだと思いを新たにしたものだ。

そうした先入観のせいもあってか、53年後のこの続編も何て些細な話なんだ、誰にだって起こり得るじゃないかと私には見えた(ルルーシュだってそう思って撮っていると思う)。惹かれ合う相手と逃亡するでもなく警察を銃で撃つでもなくしばし遠出するだけ、それがいい、それが楽しい。あるいは、長く生きた者ならではの感覚かもしれないが、「逃亡」や「銃」といった夢と現実との境目が殆ど無い(ように撮られている)のは、誰かに触発されて見る夢はもはや現実であるということなのかもしれない。

前述のリマスター版上映時、短編「ランデヴー」(1976)は「男と女」の裏側、換言すれば同じものを描いているのだとも気付いたんだけど、今回の新作には驚くことにこれがほぼ丸々使われており、やはりそうだったんだと確信を持てた。映像や音楽の被せ方、「目的」が見える前に切るタイミングなど適当に見えて軽やかだ。

ジャン・ルイの娘としてモニカ・ベルッチがワンシーン登場し、「熱いまなざし」で父親を見つめる。アンヌもベルッチ演じるエレナも施設の女性スタッフも彼の「男性性」を愛し、それが失われた(と彼女らが思う)今でも彼の中にそれを見る。まあ、だから「男に惹かれる」なんてことになるわけだけども、今の感覚で言えばね。私もそうしたいところだけど、なかなか難しい。