アド・アストラ


「リマ計画」を知っているかと問われたロイ(ブラッド・ピット)がまるで第三者のように返答するも父が生きていると聞くと相手の声がひととき遠くなる、意識が制御下から離れそうになるのは、冒頭の事故がその比喩だったかのように思われた。冷静に対処してもどうしようもなく墜落するが持ち直す。

全編に流れるのは自分と父に向けたロイの語りだけれども、映画の始めの「近い将来」「希望も争いもあった」「進歩のために人類は努力した」(だっけ?)との文は作り手からの「これに沿って見てください」というメッセージでしょう。あれは何のためにあるのか、希望と争いとは何のことなのか、私にはうまく受け取れなかった。

ケフェウス号に乗り込んだロイは乗組員達は技術者や科学者だから気楽そうだと考える。船長は「伝説の宇宙飛行士」の息子である彼に向かって「E.T.がいたら呼ぶ」なんて軽口を叩く。彼らは「進歩のために努力」している一員(として描かれている)だろうか。後のロイの「敵ではない」というメッセージが上からの命令で動く彼らに全く通じないという描写からしてそうではないように思われた。

ロイが出て行った妻「イヴ」(リヴ・タイラー)の「メッセージは送れるのに返事が受け取れないなんて」との言葉を思い出すのは、彼が父(トミー・リー・ジョーンズ)から同じことをされているからか。妻と異なり一念で自分の中の果てまで後を追うも、手をとってもその手をケアしてもロープで繋いでも、相手は自分とコミュニケーションを取ろうとせず、自分はそういう人間だからと諦めさせるためある行動に出る。

ロイが全くの一人になった後、映画のトーンが不意に変わって、リマ号のプロペラ?やそれを盾に向かった先のケフェウス号が明るく映るのは、彼が他者とコミュニケーションを作り上げる決意をしたから。私にはこの映画は、コミュニケーションを構築するのに参加しない人間のせいで嫌な思いをしているならさっさとよそへ向かえという話に思われた。普通の人にはあそこまでできないけど、ブラピがしてくれたから、もう皆はいいよって(笑)