マイ・サンシャイン



オープニング、画面に登場した女の子が小売店に入って数分で殺される。そのラターシャ・ハーリンズ事件に関する実際の報道映像、ビル・ウィザーズの「City of the Angels」、ロサンゼルスの空撮、王様のようにゆくかつてのジェシー(ラマー・ジョンソン)の横に「KINGS(原題)」、このアバンタイトルのパワーは私のあらゆる類の感情をそそり立ててくる。


一転して確かに「裸足の季節」のエルギュヴェン監督の映画だと思わせる、反抗心と知性とユーモアを備えた少女ニコールの輝き、それにときめく少年ジェシーの幸福を捉えた一幕に更に心が上がる。彼女の「道端でマンゴーでも売ろうか?」は、後のミリー(ハル・ベリー)の、ウィリアムを警察から救い出す時の「また人様に迷惑かけて!」という「処世術」に通じる。ブラジャーのストラップの安全ピンがその境遇と性分を物語る。


冒頭「『the riot』まで七週間」との文が出るが、これは私が何度も引き合いに出しているクリスティの「事件が起こるまでこそが重要」の言葉通り、誰もが知るあの日まで現場では何が起こっていたのかという話である。ジェシーはロドニー・キング事件のニュース映像を夢に見て目覚めるが、作品前半で執拗になされる、テレビが常にこの事件を報道し皆がそれを見ているという描写は、それまで誰かの目でしか捉えられていなかった「あのようなこと」が初めて形を持って共有されたことによる衝撃、それが人々の心を浸食していく様を表していると思われる。


社会の最先端はいつだって家庭や子どもなんだという話でもある。現代が舞台の「万引き家族」や「フロリダ・プロジェクト」では貧困家庭の脇を非・貧困層がただ通りすがっていくが、四半世紀前のロスが舞台のこちらでは彼らは直接的に抑圧され、内部で殴り合い撃ち合う。子ども達がはしゃぐのは見上げる花火ではなく、バーガーキングで「買収」されて持て余し眼下に投げた火炎瓶だ。


ハル・ベリー演じるミリーとダニエル・クレイグ演じるオビーの恋愛要素もあるのが面白くリアル。オビーがひとえに「弱いものを見捨てられない人」であると知ったミリーが枕を抱きしめながら見る夢の楽しさ。そのクライマックスと現実に同じような体勢になった時に二人がしていることといえば…(この時の彼の表情が最高なんだけど、それを彼女は見られないのもいい・笑)。このラブストーリーは、大人、特に女であるミリーが子どもに全てを捧げているわけではないとの表明とも取れ、見ていて気持ちがよかった。