あゝ、荒野 前篇/後篇



上京以来二十数年の新宿区民としてはやはり見たくて出向いたんだけど、オープニングから「どこだろう」と気にしてばかりでくたびれてしまった(笑)思うにこの映画の舞台はSF世界の「新宿」である。カメラは新宿のあちこちを満遍なく映しているけれど、私の目には寺山修司と共に消え平行世界で時を経た町のように見えた。そこにいかにも「2021年」らしい操作を加えているもんだから、男達が箱庭に閉じ込められてるような感じを受けた。作中で「新宿」とわざわざ口にするのが宮木(高橋和也)や片目(ユースケ・サンタマリア)といった、もう若くはない男ばかりなのが面白い。「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない」(「振り向けば、後ろには夢ばかり」)と言うのがこの二人である。


最後の試合中、新次(菅田将暉)は「この美しく汚い国に生きてる」と小さく鋭く叫ぶ。寺山修司の作品ならば(私はこの小説は読んだことがないけれど)例え「社会」を描いていなくとも、そっか、そうなのか、と思えるはずだけど、この映画は未来の社会を設定した上で中途半端に描いてるので(あの「デモ」の画のつまらなさよ)、すなわち「美しく汚い国」を具体的に提示してしまっているので、そうなのか?と白けてしまう。対して極めて「個人」的なバリカン(ヤン・イクチュン)の言葉は刺さる。本作には私にとって「定一の國」と同じことが起きており、周囲の男達の方が映画としては描きやすい面白さを持っているので、中心の菅田将暉の役がぽっかり開いた穴のようになっている。彼の輝きをもってしてやっともっている感じ。



後篇の序盤、まず片目の「やっべーな…」からの、バリカンがリングに上っての一幕に涙がこぼれてしまった(全編通じて涙が出たのはここのみ)。前篇ではそこまで思わなかったけれど、この映画のヤン・イクチュンはすごい。走っている姿から練習中のちょっとした足さばきにまで、ボクサーとしての動きが全て、それだけで物語を紡いでいた。更に終盤、試合の朝に空になったジムを見てやっと分かった、これはボクシングの映画なんだって。どの男もボクシングにその心を囚われているじゃないか。試合の場面では、ちょっと皆、いくら何でもボクシングなるものにのめり込みすぎじゃないか、心が一つになりすぎじゃないかと思った(笑)


この映画が自分に合わなかった理由の一つとして、日本映画っていつまであんな辛気くさいセックスを見せる気なの?というのもある。前篇の冒頭の、新次と芳子の出会い頭のなんかはよかったんだけども(セックスの後に涙を流す彼女に手を伸ばす彼、なんてシーンもよかった)。後篇のはことごとく薄気味悪かった。この映画におけるセックスはボクシングと同じく「繋がり」を意味しているようだけど、それってああいう形になるわけ?それなら遡って、ボクシングなんて私には別に要らないや、と思わずにはいられなかった。