マイ・ベスト・フレンド



公開初日に観賞。楽しく見たけど、キャサリン・ハードウィック監督のファンとしては少し物足りなかったかな。死んでゆく者こそが「変わる」のを、「私の証人」である親友が見届ける話だったから、躍動感のようなものに欠けるというか何と言うか、そういうところがあったかな。
オープニングは出産直前の(「直前」すぎて薬が使えず転がり回る)ジェス(ドリュー・バリモア)。作中ミリー(トニ・コレット)が40歳の誕生日を迎えるのも含め、「ブリジット・ジョーンズ」の新作と色々被っている。一番似ている?のは、それなりの年齢のカップルに子どもが出来るという点(こちらは「はずみ」どころじゃないけど)。女が出すもの色々…ゲロやおしっこが机の上に普通に置いてあり、しまいには「赤ん坊をひり出すところ(その時の器官)」を男達が見るというのが面白かった(笑)


全篇通じてトニ・コレットが素晴らしい。「癌患者」の役ながら、その表情が、親友でもパートナーでもないバーの男(タイソン・リッター)とのセックスの前後に最も味わい深く撮られていた(ように私には見えた)のが面白かった。
最もはっとさせられたのは、ジェスに「400キロもやって来たのは男とセックスするためだったってわけ?」となじられた時の顔。そこで気付くのだ、乳癌に罹った彼女は、親友に、手術の傷跡だって「見てほしい」し、「道を歩く時に一番気になるのは誰かがお尻を見ているかってこと」、すなわち母親と同じように「人から見られたい」願望があると告白したいし、「女」でありたい(なんて好きな言い方じゃないけど、彼女にはそういう「古風」なところがある)ことを認めてほしいのだと。自分はこんな人間だとぶつけて、受け止められたいのだと。


ジャクリーン・ビセット」が「やたらと結婚する女」の役なのも見どころ(邦題は彼女の「ベストフレンズ」から取ってるのかな?)。ミリーは母親であるミランダ(ビセット)を拒み、家に呼ぶのは「無料の子守り」目的だとつれないが、両の乳房切除を言い渡された後に酔いつぶれたバーでジェスに「酔うとお母さんにそっくりね」と言われる。親友には見抜かれている。
面白いのは、当人いわく「二度離婚し、男関係の派手だった」「仕事で世界中を飛び回り、娘の傍にいなかった」母親が、その「仕事」を通じて、娘の病気について話し力を借りる女の友人を持っていたという点。ミリーがウィッグを合わせてもらう場面の最後に、ミランダが「感傷的な人は持ち帰る」髪の束をそっとしまい、「仲間」にちょこっと感謝の意を示す姿がいい。


確かにキャサリン・ハードウィックの映画でもあった。彼女の映画はどこか「またたき」を感じさせる。二組のカップルがいちゃつく場面などどれも素敵で、中でも長回し(って程でもないけど)で撮られる、ジェスとジェイゴ(パディ・コンシダイン)のガラス越しのキスシーンが楽しい(「撮影の裏側」を想像するとより楽しい・笑)
誕生日パーティを去るミリー、追うキット(ドミニク・クーパー)、出てくるジェス、ミリーの口笛に現れる「運命の」タクシー、乗って去る女達、キットを気遣うジェイゴ…達の様子が、これまた長回しじゃないけど(「ふう」であり途中で切れる)長々と撮られているのも面白い。ここから一気に「飛ぶ」ポイントだから、この演出にはどきどきした。


予告編からは分からなかったけど、「嵐が丘」の本が重要な小道具になっている。少女時代に読み、落書きしたものをミリーはいまだに持っており、化学療法中にジェスが隣で朗読する。看護師が「ダーシーは?」と尋ねると揃って「ヒースクリフの色気は格別!」。コリンの魅力に屈しない女達の話ってことだ(笑)
アメリカ映画ながら原作も役者もロケ地も殆どが「イギリス」だけど、監督についての先入観もあってか、作中の「イギリス」の数々が私には「ネタ」に感じられた。アメリカからやって来たミリー視点の物語である事を思えばそんなにおかしくないか。クリスマスイブの晩に女王陛下のお言葉の番組を見るというのは、「どういう」類の国民なんだろう?