リップヴァンウィンクルの花嫁



注射でもされたみたいに、直接何かが体の中に入ってくるような映画だった。


冒頭とある場面で、七海を演じる黒木華と、安室を演じる綾野剛の顔って似てるなあと思う。「僕がその気になったらあなたは一時間でおちますよ(「すごい自信ですね(笑)」)いやいや、あなたは僕のことなんか全然見てません、その気があるからおちるんです」。チョコレートを差し出された七海が彼の隣に移動すると「気付いてます、この距離?あなたが詰めたんですよ」。呼び水さえあれば動く、根っこの欲求は持っている。「彼氏」や「結婚」は彼女にとって「チョコレート」だったのだろうか?その後の安室の、ソファに置かれる手、前をふさぐ下半身の魅惑的なこと。
作中お金を直接手にするのは安室だけである。二度とも札束(=大金)に、七海の目の前で触れる。映画の最後、七海は安室から給料を受け取る際、初めてお札に直に触る(彼の「現金で申し訳ないけど」とのわざわざのセリフあり)これは迎える余地の在る七海の中に「悪魔」がちょこっと入って、「普通」の人が生まれたという話なのかなと思った。七海が手を差し出し、二人は握手をするが、彼女が「普通」になったように、悪魔にも何かが流れ込んだに違いない。もしかしたら七海が「生き返った」時から少しずつ。


お金に触れない七海と、お金を「普通」の人たちとは違うふうに使う真白。七海が「ずーっと一緒に暮らせる家を探そう」と言った後日の「結婚式」の映像は素晴らしかった。真白は七海の、ベールじゃなく髪をほどき、二人で髪を振り、「初夜」のベッドルームへ入る時、カメラは七海の視点になり真白の背中を捉える。二人は長い黒髪を枕にしてお喋りする。
私にとって岩井俊二大島弓子の子どもの一人だから(洋館の「パーティ」の跡をメイド服姿の黒木華が片付ける図なんて、まさに大島漫画のよう/妙な仕事を請け負うお話の類というのがあるしね・笑)私にとって岩井俊二岩館真理子の姉妹でもある。岩館真理子の漫画によく出てきた「二人の少女」の幾つかのパターンの中に、「片方が消滅し(それを吸い取ったように)片方が成長する」という類のものがあり、この映画も一見それに似ているけれど、私には(ここに描かれているような「友達」に興味が無いからというのもあってか)むしろ七海と安室が「二人」に思われた。だからというわけじゃないけれど、この映画が「新しく」、というのに語弊があるなら私にとってもっとすっきりとあるためには、「悪魔」が「女」であるべきかな(笑・綾野剛はよかったけどね)


七海の唯一の「生徒」である、「うちから五ヶ月間出ていない」少女が、作中最後のやりとりにおいて「東京に行ったことないから、行ってみたい」と言うと、七海は「来たら泊まる?案内する」と返す。このセリフには震えてしまった。どこがだよと言われるかもしれないけど、「ショート・ターム」のブリー・ラーソンのかけらを感じた。黒木華にも、そのうちあんなふうな役、この映画のように銘々が自転車に乗ってはしゃぐだけじゃなく、誰かを自転車の後ろに乗せて走る役をやってほしいと思った。
この会話は「東京ってどんなところ?」と問われた七海の「……分かんない」で切られ、場面が替わる。少女が東京に行ってみたいと思うのはなぜだろう?七海が居るから?「誰か」が居るから?七海は、真白と出会った日に、彼女の「人っていっぱいいるね!」に「特に東京はね」と答えているのだった。


ところで、本作を見るのに都合により珍しく池袋に出向いてみれば、オープニングは劇場のある、まさに池袋サンシャイン60通り(そう見えたけど、違ってたらごめんなさい)。喜んでいたら、二番目の「結婚式」の後に「一家」が「緊張の糸が切れた」と盛り上がるのは、よく行く紀尾井町のオーバカナルの前。そこで飲むのかと思いきや、焼肉屋に出向くというのが憎い(笑)七海と真白が「本名」を教え合うのが、私が東京で一番好きな場所の一つ、四ッ谷見附橋というのも嬉しかった。二人がはぐれるのはこれまた私のホーム!の新宿東口。
「ロケ地」といえば、二度目までの結婚式の会場なんて、変な言い方だけど、もしもこの映画の(「小説」じゃなく)「あらすじ」だけを読んだなら、使われるのもそう嬉しくないだろうけど、映画を見ていると、全然悪くない、この世界中のどこにも何かこう、ぐっとくるものがある。「教員」「AV女優」といった仕事の「ありえない」、あるいは画一的とも言える描写が不快に感じられないのも、そこに因があるんじゃないかなと思う。