ハッピーエンドの選び方


(携帯から覚書)


(弱冠「ネタバレ」あります)


ラストシーンの、愛する人を撮っていたカメラを手から放し自分が映像の中に入り込む様子が、不思議なことに私にはまるで、死ぬ時にはどうやったって独りなのだということを強烈に表しているように感じられた。
見慣れぬ「ナースキャップ」の他に私に分かる「イスラエル」らしさは、主人公ヨヘスケル(ゼーブ・リバシュ)が葬式の際に着けている小さな帽子くらい。しかしこの映画には、「神」が出てこないからこその示唆もあるように思う。神を騙ったヨヘスケルを相手が気にせず受け入れるように、人間同士は許し合うが、神はただ一方的に裁定を下す(と言っているようだ、この映画は)


オープニングは予告編にも使われている、ヨヘスケルが「神」のふりをして電話で仲間を励ますくだり。老いると電話一つ取るのも大変だと思わせられる以外は「笑える」場面だが、タイトルが出た後には彼らの「重い」面、あるいはそうした視点での描写も用意されている。
深みにはまるのは、ヨヘスケルが発明した「安息日タイマー」(って何だろう?)によるマシンで妻レバーナが「日曜日」の薬を飲むも、(故障により)程無く「月曜日です」と言われる場面。「コメディ」タッチが続いているのかと思いきや、彼女の「私、今飲んだわよね?」「今日は何曜日?」に言い様の無い不安を覚え、心をぐいと掴まれた。やはりそれは不吉なサインだった。


当然ながら、生死の狭間にいる者達の暮らしにも、あるいはそれだからこそ、随所にいわば割りきれない部分、はみ出している部分があり、その描写が面白い。笑いだってそこから生まれる。
「離婚してくれない相手とずるずるつきあってしまっている」…と捉えるのは私だけで本人は違うのかも、そして相手にも事情がある、私もそうするかもと思う。「奥さんの病気は何です?」「肺がんです」…と言いながらその場の全員がもくもく(当たり前だけどこの場合、喫煙が肺がんの原因になるか否かというのはどうでもいいことだよ)の画には、「登場人物」だけじゃなく作り手のそうした視点を感じる。ヨヘスケルが認知症の婦人に「ここは禁煙ですよ」とだけ言われるのは、彼女が男性の喫煙に悩まされてきた(何度もそう口にしてきた)ということだろうか。


本作にはお馴染み「特技を持つ者が集まっての人助け」ものの楽しさもある。発明家の主人公に始まり、映画お約束の獣医や警官など。「職業」ではないが、レバーナが思いやりや聡明さで皆を支えていたことも伝わってくる。「あなたのために咲いた花」や「あなたのために作った料理」、そういう生き方はお国柄なのか彼女の人柄なのかと考えた(しかし「あなたのため」のオムレツサンドが「不味い」のはやはり兆候だった)
それにしても裕福らしい夫婦の住まいは(「上品」な施設だそうだから面倒もありそうだけど)居心地よさそうで、作業場や素敵な棚をしつらえてるのが同居人にぴったりだなと思った(笑)糸ノコはさすがに使えなさそうだけど(終盤溶接をしている場面があるけど、あれはどこだろう?)