くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ



ガブリエル・バンサンの絵本「くまのアーネストおじさん」シリーズを長編映画化したアニメーション作品。楽しく見た。


アーネストおじさんの声を大好きなランベール・ウィルソンが演じたというので気に掛けていたら、日本で劇場公開されるのは日本語吹替版のみ。それでもいいやと出向いてみたら、客席に子どもが居て、そっか、吹替版でいいのかと反省した。ただオープニングの子ネズミ達のざわめきはフランス語で聞いてみたかったなあ。タイトルの後に「avec Lambert Wilson」と出ただけでも満足…と思いきや、作中早々の「アーネストの歌」は彼の声のままだった(彼は歌手でもあるからね!)これまでの役柄には無い野太さが新鮮。
ランベールの歌声だけじゃなく、全編に渡って音楽も楽しかった。変なことを言うようだけど、「アーネストとセレスティーヌの歌」が頭に染み付いて、三拍子の(曲を「テーマ」とする)映画らしいアクションというものがあるんじゃないかと考えた。それじゃあ「ミッション:インポッシブル」シリーズのアクションは五拍子らしいかって話だけど(笑)


ある社会において「役立たず」としてひとりぼっち、それならまだいい、目を付けられ迫害されているアーネストとセレスティーヌが支え合い自らを主張するようになる、というのはとても「現実的」で「現代的」。彼らが「芸術家」であることを踏まえると、今の日本では反「実学指向」のようにも受け取れる。小ネタを取り入れつつ原作とかけ離れたダイナミックなストーリーが、最後に人を食ったように「原作」に繋がるのが可笑しかった(ラストの「絵」が原作に近いのが考えたらまた可笑しい)
始めはそっけないアーネストが、セレスティーヌの描いた自分の寝姿の絵に心動かされ地下室へと降り、「アトリエを作ってあげよう」。「芸術」よりも大事なことがあると思う私としては、それが無けりゃダメなのかと釈然としないけど(笑)翌朝の二人の家の、幸せそのものとしか言い様のない色彩、あの様子、「セレスティーヌの描いた線が音楽になる」なんて映画ならではの場面も素敵だけど、あの部屋をいつまでも見ていたい。


絵は原作こそ全然完璧で、私の好みからすると、動物達のいかにも「動物」然とした見た目が幾らか「人間」寄りになっていたのが残念だった(ただのネズミがお洋服を着てるふうなのがいいのに/ああいう絵はアニメーションにすると不都合があるのかな?)それに加えて日本語吹替となると、日本のアニメーションに影響を受けているらしき絵柄のせいもあって、原作に対しては感じない、なぜこの手の話は「おじさんと少女」の組み合わせばかりなのか?という疑問まで生じてしまう。ソフトが出たらフランス語版も見てみたい。


↓本国版予告編。ネズミ社会の孤児院に暮らすセレスティーヌとクマ社会でぼろ小屋に一人暮らすアーネストが、ゴミ箱で出会う。