パレードへようこそ



実話を元に、サッチャー政権下でのLGSM(炭坑夫支援レズビアン&ゲイの会)と炭鉱労働者達との「連帯」を描く。素晴らしい映画だった、今年一番のお気に入り。
オープニングに流れる「Solidarity Forever」の「The union makes us strong」という文句には、「組合が我らを強くする」という字幕が付いていた。確かに「我々は連帯によって強くなる」というんじゃちょっと違う、でも尚少し違和感がある、まさに「The union makes us strong」としか言い様がないんじゃないかと考えた。その感覚を掴むことこそ、私達に必要なんじゃないかと。


1984年の夏のある日、一人の人間がテレビのニュースを見ている。本作は、ここで生まれた「思い付き」が人々に伝播していく様を追った映画だとも言える。「それ」がマーク(ベン・シュネッツァー)の歩みによって運ばれ(この辺りはちょっとしたミュージカル気分)、聞かずにはおれない演説によって仲間内で分かち合われ、といったふうに、広がりが体感できる。いわば「身体的」な描写によって物語が進んでいく。
またしても「思い付き」による一本の電話をまだおぼろげにしか映されない老婦人が取る時、再びかすかに流れる「Solidarity Forever」に胸が高鳴る。LGSMの面々とディライス炭鉱の代表者であるダイ(パディ・コンシダイン)が会う場での、両者の顔の近さよ!マークとダイそれぞれの顔のアップに、変な言い方だけど、私は人と「出会って」いるだろうかと考えた。ここでの彼らのやりとりは、シンプルながら大変重要だ。


印象的だったのは、ロンドンの「彼ら」がウェールズの「彼ら」のもとを訪れる際の「道のり」。イングランドウェールズを繋ぐ長い橋や原っぱの中の曲がりくねった道、果てしなくも見える一本道と、そこをゆく(スクリーンの中では)小さなバスの姿が幾度も挿入される。まるで「道はあるのだから進めば着く」とでも念を押すように。
ゲシン(アンドリュー・スコット)が長らく訪れていない実家へ向かう時の、北ウェールズへの道のりも同様だ。始めはロンドンで留守番していた彼がウェールズを訪れての「故郷で素の自分でいるなんて」という言葉は、大なり小なり(その大小の程度こそが問題だとはいえ)いわゆる「Let it go」に打たれた人、皆の心に響くのではないか。母親と和解した彼は見る間にこれまでとは変わってゆく。投げ込まれた爆薬に怒って飛び出し、一人バケツを持って街角に立つ。ゲシンだけでなく皆が変わっていく。炭鉱でも「水を得た魚」になる者もいれば、ジョークを言うようになる者もいる。


こまかな描写が面白い。「LGSMの『L』」と名乗るステフの事あるごとの「レズも!レズも!」という主張、「普通」の人が「ゲイ」について抱く興味はセックス関連のことに違いないというゲイ側の思い込み、「ゲイの書店だから詩集ばかり」のしばらく後に詩を暗唱する者、尻ごみする男達が何か言う前に「あんたにそれほどの魅力は無い」とけん制する女達(そう、何か言う前にけん制していいのだ)、様々な状況で繋がれる手と手。
音楽もとても楽しく、本作のテーマに深く関わる曲は勿論、一見「他愛ない」ように聴こえるヒットナンバーについても、ゲイに親和性の高い曲ばかりなので、そういったミュージシャンは当時この状況についてどう考えていたんだろう、なんてことを思った(尤もこの映画の精神からしても、親和性が高かろうとそうでなかろうと皆はどう考えていたかに思いを馳せるべきなんだけど)


ロンドンでの仲間との夜にマークを捉える、エイズによる死の兆候。ラストの「パーティー」、いや「行進」を始める前に警察によってもたらされる、炭鉱側の敗北のニュース。私達は物語の「その後」を知っている。この映画が更に面白いのは、物事はめでたしめでたしと「終わる」ことは無いのだから、出来る者は進んでいかねばならないと主張しているところ。それはジョナサン(ドミニク・ウェスト)とシャンの、一見ストーリーから浮いたやりとりに表れている。
その一方で、素晴らしく「生きている」人々の姿に、自分が出来ることをしなきゃ、したい、というだけじゃなく、へばりそうな時には誰かに助けてもらってもいいんだとも思える。大事なのは手を繋ぐことなのだと。