最近見たもの


インターステラー



「宇宙」のあれこれについては、出来上がった映画を見れば、そうなんだ〜と全て「分かる」ようになっている。尤も宇宙というか物理というか、何にせよ色々な知識があった方が、より楽しめるだろうけど。
中盤など、宇宙サスペンスかあと楽しく見てたんだけど(「山じゃない!」と同じくらい恐ろしいのは人の心というね)、結局「時間」ものに収束するのかと拍子抜け。最後の病室のシーンでは完全に白けてしまった。何あの人数!(笑)


冒頭の保護者面談の場面でまず、ああクリストファー・ノーランだ、私の嫌いな、でも居るとちょこっと安心しちゃうような(笑)彼の映画だという感じを強烈に受ける。「テーマ」を描くために用意された状況が、「設定」で、あるいは(本作の場合)セリフで説明される。でもって娘の担任のあの顔!全くあそこまでキャスティングが完璧。見覚えあるけど名前は知らなかった、コレット・ウォルフという役者さんだそう。
加えてノーランって嫌だなあと思う「会話が野暮ったい」という点(バットマンシリーズのクリスチャンとケイン様とのやりとりによく感じる)も、最後の、とあるパーセンテージについての会話で炸裂している。ああいうの、一発で決めてほしいんだよね。


ジョン・リスゴーいわく「昔は毎日がクリスマスだったが競争ばかり、今の世界もいい」。対してマコノヒーは「今は誰も空を見上げず、足元を見てばかり」。「空を見て」の「進化」であれば、「競争ばかり」にならないということだろうか?それには「リセット」しかない、という話なのか。


▼フューリー



戦闘シーンは面白く登場人物のキャラクターもよかったけど、「やっぱり」戦争は嫌だなあ、という程度の…「やっぱり」の範疇に留まる。うまく言えないけど、「動き」や「もの」だけじゃなく、視点だって「今まであまり見たことが無い」ものを見たのに、なぜか全てが型通りという印象を受けた。
戦闘シーンで一番心躍ったのは、シャーマン戦車が進むと、辺りに這いつくばってた米軍の歩兵が次々と立ち上がって戦車の後ろに着くというあれ(轢かれそうになるのが怖すぎる!)終盤、状況は全く違えど、戦車兵達が戦車の外に着く場面もあるんだけど、戦車を「家」としている彼らと歩兵とでは、その「着き」方が違う。


シャイア・ラブーフは儲け役!何度も挿入される、照準器に片目を押し当てている顔がかっこよかった。劇場でのシャイアの思い出って、ミラノ2の最前列で見た「ディスタービア」やヒルズの7番で見た「クリスタル・スカルの王国」で、その頃からずっと好きだったから、この日もヒルズで本作を見て、ブラッド・ピットにあんな口利いてるよ!と感動もひとしお。
「War daddy」ことブラッド・ピットが新兵のローガン・ラーマンにドイツ兵を無理やり殺させる場面にふと、まさに「道具は人体の機能を延長する為に作られた」ものだと実感する。これが「女に挿入させる」なら、体が思うようにならずうまく出来ない場合だってあるわけだから(だからその後の「挿入」は、手とり足とりというやり方は取れない・笑)


ちなみに、ちょうど今、同居人が先に読み終えた「田宮模型の仕事」(タミヤ本店で買ったサイン入り)を私も読んでいるところなのがタイムリーだった。

田宮模型の仕事 (文春文庫)

田宮模型の仕事 (文春文庫)

はじめてドイツの「インターナショナル・トイフェア」に出展したとき、こんな光景を何度も目にしました。私たちが展示したドイツ戦車を見たドイツ人たちが、嫌そうな顔をするのです。ドイツ人の半分は目をそらしました。(略)それはソ連軍とアメリカ軍の戦車に街中を蹂躙されたという、つらく苦しい体験が脳裏にこびりついているからなのです。ドイツ人には戦車に対する強いアレルギーがあったのです。自国の戦車を見ても苦虫を噛み潰したような顔をするのですから(略)

(この後「ミリタリーモデルは決して戦争玩具ではない」と、実際に戦争を経験した模型ファンが作る戦争ジオラマの話へ続く。しかしこの章を読んだかぎりでは、やはり彼は「商人」なのだという印象を受けた)