紙の月



劇場での宮沢りえ主演映画は、実に友達と見に行った「ぼくらの七日間戦争」以来。予告編に惹かれて出掛けた。原作小説は未読。


オープニング、学生服姿の少女が教室の机に一万円紙幣を並べている。聖徳太子の肖像にあれっと思っていると、場面が替わり「94年」。宮沢りえ演じる梨花は銀行に勤めている。同じ時代を生きた同じ世代の主人公の話かという期待もあったので少々落胆していたら、池松壮亮演じる光太が「94年に大学生」というので、こちらが私と「同時代」を生きているのだった。
この映画における「時代」には意味がある。作中の美術で目立っては表現されないけれど、何とも「アナログ」な横領の手口が通用するのも、加えて光太の「就職観」も、あの時代だから。「『結局』地元の公務員と結婚」というのだって、20年後の今なら、それこそ「紙の月」になりやしないかという感じもする。


「94年」の梨花が登場する時、正文(田辺誠一)と「並ぶ」二人が夫婦だと分からなかった。一方、梨花と光太の出会いの場面では、一度目の再会の際、「離れて」いても二人の間には激しく「何か」がある。二度目の再会の際、向かいのホームの彼女が去ってしまったと涙ぐむ彼(泣いてはいないけど「涙」が見えた)の前に「現れる」彼女、周囲の音が消え、二人はこちらに横顔を見せる。こうした場面の数々の熱がこもっていること。
それにしても作中の池松くん、偉いよ!倫理的にどうこうというんじゃなく、自分を律して「切り上げる」ことが出来るというのが。男は女に比べて金を受け取りたく思う理由が少ないからかもしれないけど。家を訪ねてきての場面で涙が出そうになってしまった。「見つけてほしい」と願っていたのでは、とも思う。
ほぼ「同世代」の私としては、光太がタバコを吸ってるのとか(しかもマルボロ、私の周囲の男の子もかなりがそうだった/でもって吸う姿の変わってくること)、パンツがでかいのとか、ああそうだな、と思いながら見た。ホテルオークラの帰りのスーツ姿が最高(笑)


冒頭からの描写で、梨花が日常的にハラスメントを受けていることが分かる。「職場」は勿論、夫の正文の、彼女の話を聞かない、すなわち意思を無視するという仕打ちもひどい。一見さほどショックを受けていないように描かれているけれど、溜まったものは、誰も、自分すら予期しなかったふうに作動したのかもしれない。後に梨花がベッドに横たわるカットにそう思う。でもって終盤、追い詰められた時になって、物語の始めには「いやなやつ」だった客や夫が、この世で数少ない自分の味方の「ように」映るという、あの感じは面白い。
梨花と同僚の隅(小林聡美)、相川(大島優子)とのそれぞれ一対一でのやりとりがいい。皆「対等」で、シンプルな言葉に含意がある。


ところで、梨花がデパートでふと一式揃えてしまう化粧品がクリニークのものだというのは、原作通りなんだろうか?丁度あの頃、上京した私も母親に一式買ってもらった(尤もほぼ基礎の方だけど/色々合わず使わなくなったけど)。「スターター」的というか、いかにもという感じがする。
梨花は身なりに散財するも、この手の話にありがちな「突如エステに行く」などの描写は無い。年齢に焦る場面が(全くじゃなくとも)殆ど無いのがよかった。現実社会でのそういう「焦り」って、フィクションに後押しされてる部分がかなりあると思うので。まあ本作の場合、「宮沢りえだから」で済まされてしまいそうだけど(笑)