愛、アムール



公開初日、新宿武蔵野館にて観賞。
ハネケ監督作ってこれまでいいと思ったことがなかったけど、とても面白かった。


老いた夫婦の「愛の巣」に、ある日を境に終わりなき恐怖が居座る。悪意が無いどころか善意を抱いているが、あくまでも「この愛」とは無縁の者達が、入れ替わり立ち替わりやってくる。男は最後まで巣を守る。


映画は静寂に始まり静寂に終わる。冒頭のそれは、「愛の巣」によそ者が無理やり入ってくる大きな音に破られる。うち一人が家中の窓を開け放つと、内部に外の音がなだれ込む。しかし妻の部屋の窓だけは開かれていた。最後には「世界」から隔絶されていた妻への、夫の心遣いだろうか?
場面変わって時間が戻り、コンサート会場のざわめき。作中二人が「世界」のざわめきの中にあるのはこの時だけ。終盤、訪れた娘が窓辺に立つ場面で、外の「世界」の存在を思い出しはっとする。
この場面を始め、その後もずっと、カメラは長回しされ、二人の「日常」に沿う。夫のジャン=ルイ・トランティニャン、妻のエマニュエル・リヴァ、どちらも素晴らしい。静かに固定された画の中で、姿を消したり現れたり「顔」が見えなかったりするのが、より効果的だ。


「水」の様々なたたずまいが、その時々の夫の心情を表している。いつもと同じ朝食の席で、突如、人形のようになる妻(彼女の後姿のカットの恐ろしいこと)。タオルを濡らすためにひねった蛇口を、夫が止めなかったのはなぜだろう?ストーリーとしては後に繋がるんだけども。動揺している風には見えなかった。「水」の支配が始まる合図だろうか。
知らせを受けやってきた娘に、夫は「これまで色々苦労を乗り越えてきたが、また新たな局面だ」と告げる。二人の間に置かれたグラスの中の静かな水は、この時の彼の、決意の固さと心の平穏さを表しているように思われる。打って変わってその後の、開いた窓の外の豪雨や夢の中の浸水は「不安」の象徴のよう。しかしラスト、その耳に入る水の音は穏やかだ。「エピローグ」で娘が家を訪れた際にも、主を失った巣の「跡」には優しい音の名残がある。


「子どもの頃、二人が愛し合ってる音を聞いてた、愛を確認できて嬉しかった」と娘は思い出を語る。次の場面で、初めての車椅子から隣の椅子に移るのに、妻は夫に「背中に手をかけて」と言い、二人は作中初めての「抱擁」をする。その後も何度も体を重ねる、息ははずみ、踊っているかのような時もある、それが「ラブシーン」のようにも見える。やがてそれは、手と手の触れ合いに結実する。
そう、最後は手と手なのだ。マッサージの基本といえばそれまでなんだけど、夫が妻の、手を手でさする際、さすり「おろす」んじゃなくさすり「あげる」のが印象的だった。もし自分だったら、やっぱりそうする。自分が相手の中に入っていくように。


妻が食事中に突然「アルバムが見たい」と言い出し、夫に持ってきてもらい食卓で開く。古い、大仰なそれをめくる音は、少々しぶい顔の夫を手前に捉えた場面ではうるさく聞こえはらはらするが、カメラが妻の視点、すなわちアルバムのアップになると、うるさくない。面白いなと思った。