縞模様のパジャマの少年


角川シネマ新宿にて。席数が少ないこともあり、平日の夜でも混んでいた。


「子ども時代とは、暗い分別を持つ大人になる前に、自分の目や耳で物事を知る時である」…オープニングのテロップ。
当の子どもが、それを認識することはない。主人公が長じて昔を振り返るという体裁の話でもない。子どもを主人公とした物語にこの前置きは、どことなく突き離した感じを受ける。観る側に、冷静さやある種のあきらめを求めているようにも感じられる。



第二次世界大戦下のドイツ。8歳のブルーノは、ナチスの高官である父(デヴィッド・シューリス)の昇進により、田舎の屋敷に越してきた。退屈から「冒険」に出た彼は、フェンスの向こう側に座りこむ「縞模様のパジャマ」姿の少年・シュムールと出会う。


作中何度も、ブルーノが冒険小説ばかり好み、歴史(大人の言う「現実」)を避ける描写が繰り返される(年齢を考えたらそりゃあそうだろう)。分厚い歴史の本を勧める家庭教師は、ユダヤ人について問う彼に対し、「もし『良いユダヤ人』を見つけられたら、それこそ世界一の冒険家だ」と茶化す。そうした教育方針を危惧する母親(ティア・レオーニ)は、ブルーノが冒険小説を読んでいれば安心する。


以前「テラビシアにかける橋」の感想にも書いたけど、子どもがあちらとこちらの世界を行き来する場合、その方法に興味が湧く。ブルーノは物置小屋の小さな窓から「冒険」に出かける。窓を目にした彼は即座にそれが「道」だと知るが、周囲の者はそうでない。姉が彼の「落とし物」に気付いて初めて、その存在に気付くのだ。そして、窓を通れない大人たちは、ドアを壊して向こう側へ出る。


上記のような要素に加え、何人もの大人、子ども、大人になりかけの子どもが入り乱れている環境において、いずれの事柄もシンプルに提示され、スムーズに話が進んでいくため、おとぎ話めいた印象を受けた。新聞こそ読んでいるものの、外から情報が全く入ってこないかのような、閉じられた世界に感じられるのも助長する。当時ならば当然そうなのかな?
終盤、ブルーノがシュムールにある提案をするシーンでは、ある童話が頭をよぎった。そのようにはならなかったけど。


食事は不味そうだけど、粉もののお菓子や朝食のパン?は美味しそうだった。それがまた寂しい。