エイブのキッチンストーリー


「子どもを働かせてはいけない」という実際問題はさておき、エイブ(ノア・シュナップ)自身はチコ(セウ・ジョルジ)の元で料理を学ぶことを「トレーニング」と言っている。人生において料理は仕事じゃない、というようなことを言っている映画を最近見たなと思い出してみればチェ・ジョンヨルの「スタートアップ!」であった。

まずは「ボーダーを越えるのは大冒険」という話である。12歳のエイブが送り込まれそうになる料理教室には「ナイフ禁止」と貼り紙がしてある。ナイフを使わなきゃそりゃあ怪我はしまい。ボーダーを決めて守れば大人も子どもも楽ちんというわけだ。一方のチコは皿洗いやゴミ出しといった料理には欠かせない基本の次にいきなりキャッサバなんて扱いにくいものの切り方を教える。ここで面白いのは、エイブは料理における「科学的な」ことは既に独学で知っており、そこに重なるのがこうした技術だということ。

チコ達の料理と同じく映画自体にmixめいた感じがあって、オープニングから目まぐるしく提示されるエイブの投稿内容は考えたら(作中では双方向だけれど)かつての青春映画の主人公がこちらに向かって語りかけてくるのにも似ているし、「おじいちゃんは何故イスラエルを出たの」と質問する辺りの映像などちょっとしたフェイクドキュメンタリーふうにも見えた。だから全体の味わいがどこか新しい。

両親や祖父母はエイブの言動や気持ちではなく彼がボーダーのどちら側にいるか、すなわち儀式を行うか否かということにしか関心を示さない。そのことに自身のアイデンティティを賭けている。共同体の中で生きるにはそれが重要事項なのだと思う。しかし感謝祭のキッチンからエイブが姿を消してもしばらく誰も気づかない場面に、宗教によって真に得られるものとは何なのかということを思った(実はこのことが描かれている映画は多いよね、直近なら例えば「パピチャ 未来へのランウェイ」とかね)。