チェッカーズから思い出


クロベエ死去…まだ40なのに。合掌。
チェッカーズがデビューしたのは83年、私が小学3年生のとき。冬の朝礼では、身体があったまるよう、教室戻るときに駆け足で!というのがあったんだけど、ギザギザハートや涙のリクエストなんかが流れて、歌に合わせて手ふりまわしながらはしゃいでたなあ。皆チェッカーズが好きだった。


ウチは子供のころ「レコード」禁止されてて、5年生になって初めて「安全地帯IV」(ASIN:B00005FDLL/今でも名盤と思う。でも一番好きなのは「II」(ASIN:B00005FDLI)、音楽的に面白いと思うのは「V」(ASIN:B00005FDLO)。余談しつれい)を買ってもらったのですが、それまでは、ラジオやテレビからカセットテープに録音してがんばってたのですが、レコード持ってる友達が羨ましくて。仲良しの子の家に行ったら、チェッカーズの、いわゆるEPが揃ってて、すごくオトナに思えて憧れて、ためつすがめつ眺めてたものです。
レコード買ってもらってからも、父親のでかいステレオしかないから、聴くのがたいへんだった。たいていはテープに落としてラジカセ行きでした(最初からカセットテープ買えばいいんだけど、ジャケとか、大きい方が良かったので)。
私の中で「歌謡曲」というと、80年代前半も勿論覚えてるけど、いちばんキラキラしてるのは84〜86年あたり。チェッカーズはアイドルからもうちょっと進んだバンドになってたころ、サザンも「Kuwata Band」になってたころ。TBSのベストテンはそろそろ末期、今になって振り返ると、花火大会で最後にあるもん全部打ち上げちゃったみたいに、ゴタゴタ素敵な時代だったと思う。
(当時の年間ベスト100曲はこんな/カンジザ・ベストテン館より)
その後中学生になると世の中レコードからCDに移ってきて、バンドブームってのがきて(って涼しい顔で書いてるけど、めちゃめちゃはまってた…笑)、「洋楽」も聴くようになって、「コンポ」(パイオニアのprivate)買ってもらって、それ以前の反動か、親の財布からお金持ち出してまで(ごめんなさい〜)買いまくるようになりました。
クロベエからすっかり話がそれちゃった。
こんな言い方何だけど、戸川京子が(死因は全然違うけど)亡くなったときにも思ったんだけど、公人の上にもふつうに時間は流れてるんだなあと思う。ご冥福をお祈りします。