パディントン



公開初日に観賞、予告から想像していたよりずっと楽しかった。笑いあり涙あり、体はあったか、脈はどきどきという感じ。美術も最高。
パディントンの声を演じるのがベン・ウィショーというのがぴったりで、冒頭駅のカフェでもぐもぐしながらの「喉の奥で発音するんだ」には収録の様子を想像してにやけちゃったし(その後のブラウン氏とのやりとりも最高)、終盤一人で留守番する前の「大丈夫、心配しないで」にはウィショーを見てるのかと思ってしまった。感じが似てるんだよね。


予告に全くそそられなかったのに出向いたのは、サリー・ホーキンスが「ロンドンにやってきた者を迎える」役だから。「砂漠の女ディリー」を映画化した「デザート・フラワー」(2009)で、故郷から逃げてきたワリス・ディリーのルームメイトだった彼女がとても心に残っていたから。
本作での、彼女演じる奥さんは、ただただパディントンを「信じて」(これが大切なのだ)受け入れる。そもそもサリー・ホーキンスなんだから、「善い人」であることがつまらなくは見えない。火事騒ぎの後、一瞬パディントンを信じられなさそうになるが、目と目を見合って乗り越える。この場面のおかげで、無闇矢鱈なわけじゃない、理性ある行動なのだと分かる。赤を基調としたファッション(作中とある時だけベージュになる)もどれも素敵だった。


映画オリジナルのニコール・キッドマンのパートは、予告の時点で思ってた通り、私には要らなかった。「悪」に立ち向かうことで家族の絆が深まるというお約束はうまく働いているし(自分の愛する者が愛する者なら自分だって愛するのだ、というね)例えば彼女がカリー氏(ピーター・カパルディ!)に囁く「一人受け入れたと思ったらどんどん増えて、排水溝を毛で詰まらせ、夜通しパーティで大騒ぎするようになる」なんて言い草は、「移民問題」という「テーマ」を良かれ悪しかれはっきりさせてくれる。私の好みとしてはちょっと、いやかなりやり過ぎに思われた。
因みにパディントンが駅にて奥さんに拾われる直前、鳩が一羽、お腹を空かせた様子なのでサンドイッチを分けてあげようとするが、見る間に何羽にも増えてしまい、結局帽子にしまいこむはめになる…という場面は、どうしたって「示唆的」に感じられる。


「相手を信じる」ことの他に大切なのは、「ルールを変える」「変化を楽しむ」ってこと(対してニコールは「私は自分のやり方を変えない」)パディントンが「皆さんがお風呂を好きなら(それが何だか知らなかろうと)私も好きです」と言うように、こだわらないことが大事。私、なかなか出来ないんだよなあ。少しは努力してみたい。