扉をたたく人


恵比寿ガーデンシネマにて観賞。平日の夜にほぼ満席。とても面白かった。
道中見かけたポスターによれば、今年のスターライトシネマ(一度も行ったことないけど…)では、昨年の私のベストワン映画「地上5センチの恋心」(感想)が上映される。ちょっと観てみたい。



大学教授のウォルター(リチャード・ジェンキンス)は、亡き妻と過ごしたマンハッタンを出張で訪れ、一組のカップルと知りあう。シリア出身のタレクが演奏するアフリカン・ドラムに魅せられ、楽しい日々を過ごすが、彼は不法滞在を理由に拘束されてしまう。


ウォルターの別宅にそれと知らず住んでいた、若いカップル。人懐こいタレクに対し、セネガルから来たゼイナブは、礼儀こそ重んじるが、なかなか心を開かない。突然現れたスーツ姿のおじいちゃんをあれこれ誘っちゃうタレクに苛立ってしまうのは仕方ないけど、それにしても頑なだ。ライブ出演を終えたタレクを二人で待つ間は会話もなく、なんとか話しかけるウォルターに対し、yes, yesと答えるだけ。
でも人の言動は性分だけじゃなく、それぞれの出自や事情、考えにも依る。ゼイナブが路上でアクセサリーを売っていると、「いいことしたがり」な白人女性が現れ、興味もない商品を誉め、どこから来たかを聞くと「ケープタウンに行ったことがあるわ」と言う。ゼイナブによれば「ケープタウンセネガルから8000キロ離れてる」。これが彼女の生活の一面なのだ。「グラン・トリノ」のモン族のスーを思い出した。移民にはそれぞれ、その国の「メイン」の住民に対する、自分のやり方がある。
ちなみにこのシーンは、大学を休職してまで拘束されたタレクを気遣うウォルターに対し「もしかしたら、人の役に立つという気持ちよさを求めてしまってるんじゃないか(勿論結果さえ生めば、悪いことじゃないけど)」とふと浮かぶ気持ちを、(対比によって、だけど)打ち消すのにも役立ってくれた。


冒頭のウォルターは全てに対して無気力だ。大学の講義要項は使い回し、妻のピアノをぽろぽろ弾いてもみるが、楽しめない。しかし「visitor」(原題)により、人生は一変する。幸せって、心動かされる対象に出会えることなんだとしみじみ思う。映画の前半では、そんな彼の「蘇り」ぶりが、ちょっとしたユーモアを交えながら描かれる。
中盤、タレクが拘束されると、ウォルターは拘置所に日参し、息子を心配する母親モーナ(ヒアム・アッバス)の面倒も見る。ある日、彼女を親子の思い出に関わる「オペラ座の怪人」に誘ったウォルターは、その後のディナーで、自分が仕事をしているふり、忙しいふりをしているだけだと「告白」する。気持ちが高揚し、表情がゆるみ、二人の顔はアップになり、映画はある種の頂点を迎える。しかしこの、ちょっとしたロマンは一時のもので、翌日事情は急転直下する。


(中途半端だけど、書きたいことだけ書いてしまった。続きは後日…)