AVA エヴァ


オープニングクレジットのコモンに殺し屋仲間の役だろうと見ていたら、主人公エヴァジェシカ・チャステイン)の妹ジュディ(ジェス・ワイクスラー)の恋人マイケルとして登場。彼のギャンブル依存症をそこから助け出さねばならないもの、悪いのはそれを利用する者(演じるはジョアン・チェン)なのだと描いているのにあれっと思ったものだけど、そこから映画が見えてくる。これは人の弱さと共に生きようとするエヴァと、弱さを許せないサイモン(コリン・ファレル)の闘いの話なんだと。二人の一騎打ちの場面が最も盛り上がるのもさもありなんだ。

エヴァの周囲にはマイケル始め彼の依存症に悩みつつ付き合っている妹、エヴァの父の浮気癖に目をつぶって結婚生活を送っていた母親(ジーナ・デイヴィス)といった弱い人々がいる(この映画の奇妙に上手いのは、こういったことが「男に都合のいい設定」に全然感じられない匙加減)。エヴァ本人もアルコール依存症の治療中であり、追い詰められるとかつての婚約者、今は妹の婚約者であるマイケルの元を訪れて一緒に逃げようなどと持ちかけたりするのがいい。

面白いのは、人の弱さを切り捨てるサイモンこそが(エヴァとは逆に)完璧に見える家庭を作っていること。しかし前妻の娘(ダイアナ・シルヴァーズ)を手下として使っておきながら本人の前で平気で「レディのする仕事じゃない」と言ってのけるんだからいびつだ。更に面白いのは、エヴァに殺されそうになると家族に警護を付け、遂に対峙すると「家族だけは」と懇願するところ。私のずっと思っていたことをエヴァも言い放つ、「あんたの家族には興味ない」。家族と自分とを一体だと思ってるようだけど、あんたはあんたなのだと。この場面が作中最も面白かった。

アンモナイトの目覚め


「明るく賢い元の君に戻ってほしい」と似たようなセリフを最近聞いたな、私ならこんな男とは速攻別れると思ったな、そうだ「ミナリ」のスティーヴン・ユアン演じる父親だ。メアリー・アニング(ケイト・ウィンスレット)の「協会って全員男よね」に「でもあなたは伝説的な存在です」と答えるその男、ロデリック・マーチソン(ジェームズ・マッカードル)の屈託ない笑顔。噛み合わないやりとり、彼女の名誉を取り戻そうと何かしてくれるわけでもない。

私の大嫌いな映画では「女がメニューを自分で選ばない」が、この映画のマーチソン夫人・シャーロット(シアーシャ・ローナン)も選ばない、というか選ばせてもらえない(ことが抑圧であると示される)。夕餉の前に体を拭いてさっぱりした服に着替えるメアリーと「無理やりにでも服を着せますよ」とメイドに言われるシャーロット、辛酸を舐めてきた前者と子どもっぽい後者の対比がよくよくなされるが、二人には共通点がある。それは「一人は嫌だ」ということ。でも、自分を持っていて一人ぼっちに苦しむのと未だ自分というものを持っておらず一人でいることを嫌がるのとは違う。どんな関係にも生じ得る齟齬が真面目に描かれる。

「男の罪の告発」と「恋のままならなさ」とが全く絡まず描かれているため中盤は戸惑っていたんだけども、女を人間と見ていない男達がイクチオサウルスの化石からメアリーの名前を剥ぎ取り買い取った男の名を付けるオープニング、終盤同じ大英博物館にて男ばかりの肖像画の部屋で彼女が額縁に収まるのを経ての、件の化石を挟んでのメアリーとシャーロットのラストカットにようやく分かった。男達が名前を消そうとしてくる世の中で、女達の中にもぶつかり合いはあるけれど話し合い助け合っていこうと言っているのだと。

(だって、例えば「子どもはいるの?」「いいえ」「ごめんなさい」「どうして?」からの会話、時間を掛けてああいうことが繰り返されれば個々の考えや二人の関係は変わっていく可能性があるのだから。エリザベス(フィオナ・ショウ)の存在によって、彼女からメアリー、そしてシャーロットへと、長く生きた者からまだそう生きていない者への心の継承のようなものの輪郭が見えてもくる)

振り返ると作中で「女同士は助け合うものだ」とはっきり言っている人物がいる。「ゴッズ・オウン・カントリー」にてゲオルグ役だったアレック・セカレアヌ演じる医師である。しかし彼が「外国人」だとはいえ学問を修め職に就きパーティなど開いているのに対し、メアリーの方はマーチソンに伝説と呼ばれようと医師に看護の技量を誉められようとそれらが全く金銭に繋がっていないのだから、このセリフには政府に共助を説かれているような気持ちにもなってしまった。監督のフランシス・リーが実在の人物であるメアリーを独自の創作でレズビアンとしたのもどこかこれに通じるところがあるように思う。

平日の記録


苺。
Cafe&Meal MUJIの苺のパフェはソフトクリームがメインのいつものやつ。奥底のクランブルが嬉しい。
珈琲館では、いちごフェアのホットケーキが苦手な白玉付きだったのでトラディショナルホットケーキの丸ごと苺ソースの方を選択。いつもながらの美味しさ。


抹茶。
ドトール京都府宇治抹茶のミルクレープは、見た目はきれいだけどかのこ豆のせいか少々私の苦手な餅っぽさがあった。
ミスド×祇園辻利目当てに出向いた店舗では、宇治抹茶ホイップときなこホイップをサンドしたドーナツを選択。これもまた餅っぽかった。

パーム・スプリングス


サラ(クリスティン・ミリオティ)とナイルズ(アンディ・サムバーグ)が揃いの服でバーに飛び込み踊る姿に、私は近年映画を見ながら「誰かと付き合うって自分達を世界から閉ざすんじゃなく世界に向かって開くってことなんだ」とよく考えるんだけど、この場面の二人はその真逆だなと気付いた。自分達だけの世界に閉じこもったんだと。

箱の中で正気を保ってやっていくには、そりゃそうするしかない。火を前に「現実か否かなんてどうでもいい」あるものを見るのがその頂点で、自分の指を相手の指にすっと絡ませたサラはナイルズにまたがる。でもその後、それじゃあだめだと考えて広い世界に戻ろうとする。彼いわくの「全てが無意味」と「でも全てが無意味じゃ困る(二人の関係には意味を持たせたい)」なんて両立し得ない、二人の関係は世界と繋がってるんだからというわけだ。

…というのは私に寄せた見方で、もっと単純に解釈すれば、これは二人が「家族の除け者」(序盤のやりとり「私は除け者なの、酒飲みで尻軽だって」「根拠はあるの?」「実際そうだから」が良かった・笑)と「ミスティの彼氏」という立ち位置から先の見えない道へ一歩を踏み出す勇気を育てる話である。それが重たいから、当初ナイルズはこのままでいい、箱の外に出るのは怖いと言う。

物語が進むと、舞台が結婚式であることが面白く思われてくる。一般的には、つまりここにいる多くの人にとっては結婚式が行われる日というのは特別な日であり、今日は今日しかないといつもより強く思って過ごしているんである。そうしたら皆の踊る姿なんてきらめいて見える。冒頭の、私達が見るナイルズの一日目の、ミスティの「汗かきたくないから」まで愛しく思われてくる(汗かきの私は元よりこの気持ちがよく分かるけれども)。

(以下「ネタバレ」です)

エンディングにおいて、私達はアロハシャツじゃなくタキシードを着たナイルズに初めて会う。彼は初対面のロイ(J・K・シモンズ)にまず「ぼくはナイルズです」と自己紹介する。箱に入る前の彼はああして皆に名乗っていたのに誰にも名前を覚えてもらえていなかったのだと思うと、そんな世界に戻ることにしたナイルズの決意が大きく見える。加えて思い返せば、箱の中において一人きりになった彼がロイに会いに行くと、彼もまたナイルズの名前を知らなかった。そんな相手の元に毎日車を飛ばして復讐に出向いていたんである。そこから脱却したのだと思うと、ロイの決意もまた大きく見える。

(…と考えると、これもやはり、女は強いものだということに依った「男の映画」なのかな、とも思う)

週末の記録


同居人が探して購入してくれた器具でもって流しそうめんかき揚げとイカの天ぷらを準備してもらった。薬味のオレンジ色は干した甘夏の皮。私は薄揚げを煮た。どれも美味。


お土産にもらった白い萩の月菓匠三全の「萩の調 煌 ホワイト」は真っ白できれい。味は黄色いものよりあっさりめ。
先月数寄屋橋にオープンした不二家の「milky70 since1951」ではpekoサンドのプレーン、あまおう、生キャラメルの全種を購入。ミルキーガナッシュを挟んだサブレが可愛い。

ブータン 山の教室


典型的な「教師、都会から赴任」ものかと思いきや、教育庁のスタッフが「世界一僻地にある学校」と言うだけあって現地に着くまで時間のかかること、何と8日間。話は旅から始まるのだった。主人公ウゲンの携帯はガサまでで圏外となりiPodの電池も切れる。ただ見ているだけのこちらも時間の感覚が変わってきて、村人達に迎えられての「あと二時間です」にあと一歩か!と思う。

道中村人のミチェンが積雪量の減少につき「雪の獅子の住処がなくなる」と表現するのを、ウゲンは地球温暖化の一言で済ます。彼には知識はあるだろう、それならば彼らが合わさったら最高じゃないかと考えた。私にはその結実が、エンドクレジットにも流れる皆の歌やギターの協演に思われた。村の人々は歌を、神に捧げるため、求愛、励ましといろいろな局面で使う。公用語のゾンカ語が使われているためウゲンは国語の授業をすることができるが、彼の方が歌を教えてもらう、練習するのは新しい言葉を覚えるのに似ている。

序盤にウゲンが自分の仕事につき「公務員」と話していることにも表れているけれど、この映画では教員は公務員としての意味合いがかなり強い。彼の寝起きのTシャツと村長が吐露する「世界一幸福な国と言われているのに、君のような未来ある若者達は外へ出て行ってしまう」に主張があった。自分の国を見直して、よくしよう!という。学級委員のペム・ザムの、母親が酒飲みの父親と離婚したため祖母と暮らしている境遇など足元の問題もしっかり描かれている(毎日のことで辟易しているであろうミチェンがその父親に素っ気ないのが印象的で、都会ならば何かしら支援にアクセスできるだろうかと考えた)。

村人達のあまりの歓待に見ているこちらは居たたまれなくなるが(同時に学校教育がまだ地方に行き渡っていないのだと分かるが)、そもそも人が集まって自分の話を聞いてくれるというだけで教員とは善意によって成り立っている職業なのである、ここではそれが過剰に表現されているだけで。ミチェンが冬が来る前に穀物を刈り取らなければと話すが、彼らがその大切な仕事を行っている間、ウゲンも責任重大な仕事を果たすのだ。そんなことを思ってあの会話シーンには緊張してしまった。

平日の記録


ファミレスの新デザート。
デニーズ×GODIVAのチョコレートフレンチトーストは、チョコ好きだけどチョコ味ばかりだと飽きてしまう私にはぴったりだった。初めてのチョコレートプリンも美味。
ロイヤルホストのストロベリーパイ・ア・ラ・モードは案外ジャンクな味わい。散らされた3種のナッツが嬉しい。