ブータン 山の教室


典型的な「教師、都会から赴任」ものかと思いきや、教育庁のスタッフが「世界一僻地にある学校」と言うだけあって現地に着くまで時間のかかること、何と8日間。話は旅から始まるのだった。主人公ウゲンの携帯はガサまでで圏外となりiPodの電池も切れる。ただ見ているだけのこちらも時間の感覚が変わってきて、村人達に迎えられての「あと二時間です」にあと一歩か!と思う。

道中村人のミチェンが積雪量の減少につき「雪の獅子の住処がなくなる」と表現するのを、ウゲンは地球温暖化の一言で済ます。彼には知識はあるだろう、それならば彼らが合わさったら最高じゃないかと考えた。私にはその結実が、エンドクレジットにも流れる皆の歌やギターの協演に思われた。村の人々は歌を、神に捧げるため、求愛、励ましといろいろな局面で使う。公用語のゾンカ語が使われているためウゲンは国語の授業をすることができるが、彼の方が歌を教えてもらう、練習するのは新しい言葉を覚えるのに似ている。

序盤にウゲンが自分の仕事につき「公務員」と話していることにも表れているけれど、この映画では教員は公務員としての意味合いがかなり強い。彼の寝起きのTシャツと村長が吐露する「世界一幸福な国と言われているのに、君のような未来ある若者達は外へ出て行ってしまう」に主張があった。自分の国を見直して、よくしよう!という。学級委員のペム・ザムの、母親が酒飲みの父親と離婚したため祖母と暮らしている境遇など足元の問題もしっかり描かれている(毎日のことで辟易しているであろうミチェンがその父親に素っ気ないのが印象的で、都会ならば何かしら支援にアクセスできるだろうかと考えた)。

村人達のあまりの歓待に見ているこちらは居たたまれなくなるが(同時に学校教育がまだ地方に行き渡っていないのだと分かるが)、そもそも人が集まって自分の話を聞いてくれるというだけで教員とは善意によって成り立っている職業なのである、ここではそれが過剰に表現されているだけで。ミチェンが冬が来る前に穀物を刈り取らなければと話すが、彼らがその大切な仕事を行っている間、ウゲンも責任重大な仕事を果たすのだ。そんなことを思ってあの会話シーンには緊張してしまった。