セメントの記憶


この映画のオープニングの空撮からは、自由ではなく着地する場を失ったような不安を感じる。それは当たっている。昼は高層ビルの建設現場で働き夜はそのビルの地下で眠るシリア人移民労働者の心境は、作中のナレーションで端的に説明される。「12時間は都市の下、12時間は都市の上にいると思っていたが違っていた、ベイルートは24時間自分の上にあった。上から都市を見ても自分には何も掴めない」。

高所作業を終えた彼らが降りてくると、予告編にも映像が使われていた大きな注意書きの幕が映し出される。「シリア人労働者の夜7時以降の外出を禁ずる、違反者は罰に処す」。地に足を着けることはこれと引き換え、つまり彼らは地に足は着けられない、そこに生きてはいないというわけだ。

指示や注意を受けるといった場面が無く労働者しか映っていないため、働いている時の彼らは何をすればいいのかというデータを注入されたロボットのようにすら見える。それに対抗するのが、出勤前におもちゃのような鏡で身だしなみを整える姿やリフトに乗る時の目つきなどだ。あれは強烈に生活を感じさせる。

映画は「dedicate for all workers in exile」と終わる。「衝撃と畏怖」は「数字を見れば全てが分かる」と始まり終わったものだけれども、本作に出てくる数字からすると、ベイルートで働くシリア人移民の置かれている環境は実に非人間的だがニュースからして日本に来ている外国人労働者は更に非人間的である。どんだけだという話だ。彼らはその国の国民とは違うレイヤーに生かされているので、意識しなければ見えないのだ。

週末の記録


近所の公園で最後の花見。同居人がお弁当を用意してくれたので、私はパンでサバランを作った。刻み三つ葉の効いてるサラダには、食べる時に鯖缶をどかんとのせて。どれも美味。


はとバスの「東京さくら回廊」で最後で最後の花見。これまで夜ばかり選んでいたのを夕方のコースにしてみたら、ひとあじ違う景色が楽しめた。帰りにグランスタのエール・エルで東京駅限定のワッフルセット、ずっしり重い。


週末のお茶は、丸善本店内のCafe1869 by MARUZENネスカフェ原宿にて。ソフトクリームの季節。

記者たち 衝撃と畏怖の真実


映画は退役軍人聴聞会において若者が証言するのに始まる。原稿を読んでいた彼の口から「自分の言葉」が飛び出し、幾つかの数字でアメリカの軍事が語られる。これは「アメリカが他国に攻撃されてから他国を攻撃するまでの日数…555日」の話である。
顔の半分に光が当たり半分が陰になった彼の「なぜ戦争を?」で場面変わってアメリカがイラクを破壊する映像が次々映し出され、更に場面変わってジョナサン・ランデイ(ウディ・ハレルソン)がキメキメのセリフを放つ。素晴らしい冒頭ながら、私には気の抜けた炭酸飲料のようにも感じられた。記者役のハレルソンとジェームズ・マースデンの、映画を楽しくしよう!という演技や場面が話にそぐわないからだと思う。不謹慎という意味じゃなく、上手く言えないけど、合ってない(笑)

「我々は戦争に子どもを送り出す人々の味方」「政府が何か言ったら必ず問うんだ、それは真実かと」と演説するウォルコットロブ・ライナー)の元で働くナイト・リッダー社の記者たちの情報源は、「大手メディアが会わない」「low level」の人々。作中では真実が真実を呼ぶ。彼らが真実を(ボスやスタッフの助けにより)分かりやすく書くことにより、それを読んだ、自身の知っている真実を世に明かしてほしいという者から更なる情報提供がある。
しかし嘘が嘘を呼んで巨大なくそになる勢いには勝てない(「ニューヨークタイムズにそう書いてあった」と演説されるのだから)。でも負けちゃいけない、真実は何かと考えることをやめちゃいけないと訴えるためにこの映画がある。ウォーレンのお向かいさんのリサ(ジェシカ・ビール)が「あなたが記者だと知って猛勉強した」の場面には、今まで知らなくたってこれから勉強すればいいということが描かれている。

息子の「学校でアメリカは偉大だという勉強をした」との話を受けて「あなたには愛国心でも、私には国家主義」とジョナサンに反論する妻ヴラトカ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は彼とは出自が違う。しかし彼女の「直感が当たる」のはなぜ…映画内での意味は何だろう?それも出自のため?冒頭のアダムの母親が夫の見ているテレビのニュースを見たがらないという描写と合わせると「母親だから」とも取れる。この辺りは釈然としない。
それにしても、実際に国家主義めいた授業が行われるとして、教員・管理職・(日本なら)教育委員会アメリカではどういう経緯で行われるんだろう。ナイト・リッダー紙が真実を掲載するのだってそう、組織の管理職の判断がもたらす政治的影響は大きい。

平日の記録


老舗の喫茶店のスコーン。
渋谷のParis COFFEEにて初めてスコーンを頼んでみたら、縦に切られてきてびっくりした。生クリームを塗りやすかった(笑)
カンタベリカフェでもスコーンとコーヒー。ここのはお上品。


昔ながらのプリン。
新宿西口を通りすがりについ買った、ヒロタの北海道生クリームシューと贅沢プリン。シュークリーム屋さん?だけどプリンの方がいい。
阪急メンズ東京のネオ喫茶キングでは「平飼い卵の濃厚プリン」。お店としては改装前のモノクルカフェの方が好きだけど、プリンは美味しかった。

リヴァプール、最後の恋


元よりグロリア・グレアムに似ているアネット・ベニングの演技があらゆる意味で完璧で、全てのセリフでもって常にジェイミー・ベル演じるピーターを誘惑しているんだけれども不自然じゃなく、こういう人っているかも、私もそうなるかも、よくある恋物語だと身近に感じさせる。それを受けるジェイミー・ベルにはこれこそ真の「助演」だと思わせられた。彼の母に「リトル・ダンサー」でコーチだったジュリー・ウォルターズ、ベニングの母にヴァネッサ・レッドグレイヴという最強の布陣。

冒頭グロリア(ベニング)に「あなたは役者でしょう」と言われ「そう、ふりをしてるんだ」と返すピーター(ベル)が数年後に舞台で演じているのは「看護師」だが、ふりであって実際は違うから「ぼくら(家族)は素人だから彼女の世話ができない」というのが面白い。一方のグロリアは自身が主役の舞台「レイン」について「セックスに罪に救済、いつものグロリア・グレアムの役」と軽口を叩く。

語り手(のようには描かれないがこの映画が依っている著書の作者)であるピーターはこの物語のクライマックスを、邪険にされた自身に「舞台じゃないんだぞ」と叫ばれながらもグレアムが演技で彼を騙すところに置いている。真実がどうであろうと彼女はまず女優だったと言っているわけだ。更に彼が「ロミオとジュリエット」の1幕5場、「手に許される行為を唇にも」から「二人にとって愛は無限」までの共演を彼女への最後の贈り物にすることから、これは恋とはこんなに素晴らしいのだと観客に訴えている映画であると分かる。

出会いのロンドンから海を望むカリフォルニアのトレイラーハウス、クライスラービルを望むマンハッタンのアパートと落ち着かなかったグロリアが、最後には時にカモメの、時に子どもの、時に激しい雨の音が聞こえるリヴァプールの何の変哲も無い家のベッドに潜り込む。妙な言い方だけれども、彼女は健全すぎて居場所がないようにも見えた。健全というのはこの場合、これまた変な言い方だけれども、世の中が真に平等である時「セクシー女優」はこう生き長らえるのではないかと思わせるという意味である(尤もまだ50代だし、実際にはそれ以上生きた人が多いんだろうけども/真に平等な世において「セクシー女優」が存在するのかというのはさておき)。

ピーターの母ベラは「スターの美貌は永遠」と口にするが、あながち間違いでもない。人は記憶も動員してものを見るのだから。スターがセクシーに輝いている映画を当の本人の隣で見た後に愛し合う時、もしも私がそうした体験をするなら、そこに何を見るだろうか。俗っぽいことを言うようだけど…って、このように陳腐にも思われることを体に染み渡らせる映画というのがある、これはこれで素晴らしいものだ。

週末の記録


練馬区立美術館にて美術講座「こま撮りアニメーションの作り方」。人形アニメこまねこ」などを手掛ける監督とアニメーターの方の話を聞くもので、ソフトを使ってのこま撮りの実演(「まばたき」や「駆け足」など)も楽しかったけれど、面白かったのは「監督」「アニメーター」という仕事についての話。例えばこまねこは腕が短いので「机を押す」ことができないが(腕より頭の方が長さがあるため鼻で押す形になってしまうそう・笑)、制限のある中でその動作を表現してみせるのがアニメーターの仕事だとか。
写真は期間限定で美術館のロビーに展示してあった「こまねこ」のキャラクター。それぞれ二体あるんだそう。

平日&週末の記録


週の半ば、花見休暇で上野公園へ。同居人が作ってくれたお弁当、自身が糖質制限中なのでお米にマンナンと麦を混ぜて炊いたらキンパのつもりが巻くに巻けなくなったんだそう(だからラップにくるんだまま食べた)。でも美味しかった。
帰りに所用でヒカリエに寄った際、お腹が空いたんじゃと言われシンクス内のジョエル・ロブションで苺のパンをこんなに買ってもらった(笑)どれも上品な味。


日曜日のお昼は桜台のさくら祭り。千川通りの桜並木はそれこそ上京時から知っていたけれど、この催しは初めて。桜がきれいなのに加えて地元の商店街による屋台の顔ぶれがとても楽しかった。写真は焼きそばスコッチエッグビリヤニ、どちらも美味。


日曜日の夜はとしまえんのお花見宴会。今まで昼の部ばかりだったのが、これも初めて夜の部に行ってみた。こたつに入りながら肉を焼いて食べる。風のせいか火が大きくなりびっくりしたけど(笑)そのおかげか花びらに恵まれてよかった。