スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム


「魔術よりも強いものは…数学!」とはピーター・パーカー(トム・ホランド)のセリフだが、日本で言うところの「理系」学問と人命を尊重するという意味でのヒューマニズムとの両立の強調が、それらがなぜか相反するもののように語られることもある昨今においてはこの映画で一番響いた。それを高校生が主人公の作品において行うことの意義。

(以下「ネタバレ」しています)

目の前に生きているヴィラン達が死なないよう願うピーターに、ドクター・ストレンジベネディクト・カンバーバッチ)は「壮大なマルチバースにおいて数人の犠牲は大きな意味を持つ」と言い放つ。後の屋上での「メイおばさんの死は何にもならなかった」はこれを踏まえているんだろう、死んだけれども何のためにもならなかったという自虐的な皮肉を込めて。それに対して他のピーター(トビー・マグワイア)が「無意味じゃない」と返すのだった。

ドクター・ストレンジは先の言い合いの後の戦闘において、自身が支配する世界で「人の何たるかは運命が示している」とも言ってのける。これに抗う「若い」精神も描かれており、例えば他の世界では「スパイダーマンを殺そうとした親友がその腕の中で死んだ」と聞いたネッド(ジェイコブ・バタロン)が「ぼくはヴィランにならないからな」とピーターに宣言してみせるのも、ギャグめいた場面だけれど、自分の意思で生きるというパワーを感じさせる。

ピーター(トム・ホランド)の決意によるあの結末については、まだ子どもなのだからせめて家賃や「洗濯」について大人の助けがあってほしいとは思うも未来は開けているように感じられた、彼自身の表情からも。MJ(ゼンデイヤ)の「期待しなければ失望しなくて済む」が「前はそう思っていたけれど…」と変わったのは、記憶は失われてもピーターとの経験による変化、成長の証が残っているということだ。クリスマスのドーナツショップでは何も言えなくても、また同じ場所で学ぶようになればMJやネッドと仲良くなるかもしれないとも思う。