あなたを抱きしめる日まで



公開二日目、新宿ピカデリーにて観賞。大きめのスクリーンがほぼ満席。
大好きなジュディ・デンチ(今回はデンチ様って感じじゃない!)とスティーヴ・クーガン(彼の出演作は大抵面白い!)の共演というので楽しみにしてたもの。まずは二人が出ずっぱりというだけで楽しい。並んで階段を上る時、スティーヴは一段飛ばしでジュディに合わせる。


ティーヴ演じるマーティンの「今」が描かれた後、ジュディ演じるフィロミナ(原題は「Philomena」)がミサで火を点した蝋燭を手にする姿が映り、静かに現れるジュディ・デンチのクレジット、次いでスティーヴ・クーガンのクレジット。製作と脚本にも加わったスティーヴの、ジュディに対する気持ちを勝手に想像し、ここで惹き込まれた。


「ジャーナリスト」のマーティンはちょこっと嫌な奴。フィロミナの娘が二人を引き合わせる際、サラダバーのあるようなレストランについて「ごめんなさい、母の好きな店なの」と言うと、顔も見ず「構わないよ」。でも、その後に当のサラダバーを前にした場面(二人の顔の映し方が素晴らしい)で、フィロミナは「息子を愛してるの」と言い、その手をそっと彼の手に掛ける。
「藁にもすがる」って感じじゃない。「お願いする」って感じ。フィロミナの、人を憎まず、人に頼る、とにかく人に関わっていくという生き方は、もしかしたら失われつつあるもので、それを映画で描くというのは現代的だなと思った。勿論、物語の前および物語中にフィロミナの心の変化はあるんだけども(その度に「報告」するのが可笑しい)。


同行するマーティンの思考の変化も面白い。新聞の社会面は「無知で心の弱い人が読むもの」と言う彼が、ワシントンの空港で、編集長と「お決まりの言葉」を盛り込む旨のやりとりをした後、フィロミナが今読んでいるロマンス小説の話をする。マーティンは嫌がりこそせずとも困惑気味だが、彼が使おうとしている言葉と小説の中の言葉は、「陳腐」であるという点では似ている。でも受け手と読み手によって、込められるものが決まる。ラストシーン、空港で小説を勧められた際には「もう読んだようなものだ」とあしらっていたマーティンが、今度は「君に話してもらうからいいよ」と言うのがよかった、どんな心持ちなんだろう(笑)


教会に出向くのにマーティンがBMWを借りてくると、助手席に乗り込んだフィロミナは鞄から食べ慣れたお菓子を取り出して勧める。後に飛行機で出掛けたワシントンにも持っていく。ホテルでの朝には、マーティンがPCを広げる横でパンケーキについてあれこれ喋る。息子を思いながら、探しながら、マーティンとの旅の道中の間もずっと、そうした「いつものあれ」を欠かさない。作中何度も挿入される、彼女の息子の「ホームビデオ」の映像(最後には「本物」)と相まって、日々の輝きというようなものが心に焼き付いた。