キラー・スナイパー



ツタヤの新作棚にて、トーマス・ヘイデン・チャーチの出演作を追う一環として手に取ったら、監督ウィリアム・フリードキン、出演マシュー・マコノヒーエミール・ハーシュジュノー・テンプルジーナ・ガーションという超豪華な顔ぶれ。始まりはホラー、芯はサスペンス、ラストは西部劇、という感じで面白かった。


雷鳴轟く夜、クリス(エミール)が激しくドアを叩く場面から話は始まる。その手によって一部曇りのとれるガラス窓(最後のシーンまで残ってる)や、彼が名を呼ぶ妹のドティ(ジュノー)の部屋に置かれたドールハウスなど、静まり返ったトレイラーハウスの中の様子は全てがどこか恐ろしく、ホラー映画のようだ。
ドアを開ける継母シャーラ(ジーナ)は下半身丸出し、文句を言いながらクリスも濡れたシャツを脱ぎ捨てる。起こされた父親アンセル(トーマス)は下着こそ付けているが破れている。彼の服はスーツであろうと破れる。一見他の面々よりマシだが実のところは一番のバカ、ということの表れのようだ。息子に「stupid!」と言われて本気でビリヤードの球を投げ付ける場面がいい(笑)


クリスの依頼でやって来るのが、マシュー・マコノヒー演じる殺し屋「Killer Joe(原題)」。いつもぎゃんぎゃん吠えている隣の悪人面の犬も一目置いて黙る、「素敵…」とでも言うような顔のカットが可笑しい。
唇結んで上目遣いのドティを、口半開きで見下ろすジョー。ドティは、当初「お客」であるジョーの前では、コーヒーを入れたり花瓶を出したりと、背中やお尻を向ける仕草が多い。「ラブシーン」もバックスタイルだ。単に(父親いわく)「男はでかい尻が好き」というより、こちらを向かれていると何か困る、とでもいうような感じ。
観ているうち、ジョーとドティの二人がものすごく「邪魔」に思えてくる。その感覚は多分「正しい」。残り三人ならしょうもない暮らしながらにやっていけそうなのが、ジョーを呼び込み、彼がドティと反応…いや依存し合ってしまったために、物語が転がり始めるのだから。


「殺される」人物が「死体」でしか出てこないあたり、舞台っぽいなと思ったら、もとは戯曲だそう。だからなのか、各人のちょっとした「行動」が面白い。ジョーとの面会の後にシャーラの働く店にやってきたアンセルが、キャップを後ろ前に被り直しており、他の客の残したビールを勝手に飲んだり、シャーラの方は仕事用のシュシュを外して片付ける前に匂いを嗅いだり。先に述べた犬の顔もそうだけど、さり気なさは皆無、こういうことは全て、いちいち大映しにされる。
街の男が皆カウボーイハットなのに、アンセルは頑なにキャップ姿(「正装」時には前、気楽な時には後ろ前に被る)なのは、どういう意味があるんだろう?一方のシャーラがピンクやパープルを好む(小物や化粧品、「デート」あるいは「正式な場」での服装など)というのはいかにもでいい。自他共に認める「ヴァージン」のドティの、初めての「ワンピース」が黒いのと対照的。あんな安いワンピースが「ロマン」になるような、そんな世界の話なのだ。


冒頭に映る夕食の跡はホラーじみてるし、ツナキャセロールに黒オリーブのピザ、そして最後のフライドチキンとポテトサラダ、全てが不味そう。食欲は失せる映画だ。