Dr.パルナサスの鏡



現代のロンドンに現れた、パルナサス博士率いる見世物一座。鏡に飛び込めば、心の中の世界を体験できる。
博士(クリストファー・ブラマー)は悪魔(トム・ウェイツ)とある契約を交わしていたが、約束の時が近付いたある日、娘のヴァレンティナ(リリー・コール)が首吊り中のトニー(ヒース・レジャー)を助ける。


テリー・ギリアムの映画って、私には、つまらないわけじゃないんだけど、とても長く感じられる。今回も2時間程度のものが1・5倍に感じられた。
冒頭「悪魔との契約で娘を取られそうに…」というので、え〜また(テリー・ギリアムに対する「また」ではない/「紅一点論」じゃないけど、女が「特別の一人」しか出てこない話には飽きた)そんなの?と思っていたら、それは映画のピースでしかない。ストーリー上のもう一つの柱である、ヒース・レジャー演じるトニーの過去の仕業についても、さほど突っ込まれない(観賞後、近くの人達が「結局あの人は悪者だったの?」と話し合っていた)。ただただ色んな部分が提示される。そこが楽しかったけど、スケッチの連続というような感じを受け、体感時間が長くなるのかもしれない。


舞台をまるごと積み込んで移動する様子に、子どもの頃、「家で旅する」こと…「ペリーヌ物語」の写真屋さんの馬車や、キキとララの月のおうちなど…に憧れた気持ちを思い出した。多くの機能を備えた一座の車には、船や潜水艦ぽい魅力もあるけど、作中に内に向いた視点があまりないため、堪能はできず。



「竹馬」時のジュード・ロウの脂ぎった笑顔だけで、劇場に行ったかいはあった。彼とジョニー・デップコリン・ファース、皆がヒースに似せた演技をしているのも面白い(裏を返せば?当のヒースは、全く彼のまま)。そういう楽しさを味わったのは、直近では「K-20」での金城武仲村トオル以来(笑)


終盤、進退窮まったヒースが、博士をムリヤリ瞑想させて鏡の中に逃げ込もうとするシーンには笑ってしまった。ボケたじいさんの横顔の後ろで必死のヒース。そもそもあんな(憎めないけど)迷惑なじいさんのアタマに、周囲が恍惚としたり頼ったりしてるのが滑稽で面白い。だから最後は、皆がじいさんの呪縛から解放されたんだ、よかったね、という気持ちになった。娘は新たなアンクレットで過去を肯定しつつ自らの人生を歩み、父親は相棒と共に語り部として生き続けるのだ。