迷子の警察音楽隊


エジプト・アレクサンドリア警察音楽隊が、文化交流のために招かれたイスラエルで「迷子」になった。目的地と異なる町に着いてしまった8人は、食堂の女主人の好意で一夜の宿を借りる。


エジプトの警察の制服は水色だ。向こうではあの色が映えるのだろうか?カメラが近づくと、遠目には太いラインに見える赤い生地に、エジプトっぽい模様が入っている。



へんな言い方だけど、中途半端な作りが愛しく感じられた。
エジプト人イスラエルを訪ねる話…というと、こちらとしては、出てくる人の顔に始まり食べ物などの文化的な側面が垣間見られるのを期待してしまう。内容にもつい「リアルっぽさ」を求めがちだけど、この映画の登場人物の立ち居振る舞いは演劇的で、そう「自然」ではない。では作り込まれているのかというと、例えば冒頭の字幕、それに続くオープニングの映像はカウリスマキ(の「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」)を思い出させるけど、あれほど計算されてはいない。
道に迷った音楽隊の団長は、ぽつんと立つ食堂の女主人に対し
「この近くに文化センターはありますか?」
と問う。すると彼女は
「ないわよ。だいたい文化なんてものが無いわ」
と答える。砂漠のど真ん中に住む人間が、自分の暮らしを評する。少々違和感を覚え、この映画は「登場人物皆が作り手の代弁者である」類のものかと考えた(もっとも後の彼女の述懐を聞くと、このセリフも自然なものに感じられるけど)。そんなこんなでつかみどころがないものの、それが却って楽しい。


食堂の女主人ディナは、夫に先立たれたきっぷのいい女性。暗がりでもハッキリ浮かび上がる彫りの深い顔立ちに、堂々とした腰回り。股上の深い、ロールアップしたジーンズ。家のカギにはくま、車のミラーにはコアラのマスコット。「お出かけ」の際には赤いサンドレスのような装いに、長い黒髪を手ぐしで散り散りにする。
子どもの頃からテレビのエジプト映画を観て「オマー・シャリフとの恋にあこがれ」ていた彼女は、諸事情もあり団長を一夜のデートに誘う。団長さんはいわゆるロマンスグレーというほどじゃないけど、お尻が締まっている。役柄とはいえ毎日びしっと立ってるからだろうか(笑)
デートの舞台は、とてつもなく寂れたドライブインとでもいうようなお店。彼女と一緒なら、どこだって結構楽しいだろう。でも自身は色々大変なのかもしれない…そんな想像をさせる人だ。私なら、たまにあんなふうに男性たちが訪ねて来てくれるとしても、あの生活では、寂しくて死んでしまいそう。


音楽隊と現地の人々は英語で会話する。「ぼくは英語が苦手で…」と言う若手のカーレドが、私からすると、流暢ではないものの支障なく意思の疎通をしている。陳腐な言い草だけど、他国の人たちはどういう方法で外国語を習得してるんだろう?と思った。