週末の記録


芝公園で開催中の東京クリスマスマーケット。東京タワーとクリスマスピラミッドを一緒に望むとなかなかの眺め。行列に並んで同居人はオレンジとりんごの、私はいちごのグリューワインに、特製ブルストとターキーレッグ。


丸の内エリアで開催中のSTAR WARS Marunouchi Bright Christmas2019。丸ビルに展示されたライトセーバー仕様のクリスマスツリーや、行幸地下ギャラリーのFAN'S GALLERYなどを見て回る。写真の右はランドにスターツアーズがオープンした時の記念グッズ。

ラスト・クリスマス


故郷ユーゴスラビアでの名を捨てたケイト(エミリア・クラーク)は、ジョージ・マイケルの「Heal the Pain」(「まず自分によくしなきゃ」「君を幸せにできるのは君だけだから」「僕にできることがあるかな」)にすがりながらも酒とセックスを消費するだけの「くそみたいな日々」を繰り返している。それを軽快に描いた一幕が終わるとWham!Last Christmas」が流れてオープニングタイトル、彼女の元へ不思議なトム(ヘンリー・ゴールディング)がやってくる。

助け合いの幸せを描く伝統的なクリスマス映画だということには驚かなかったけれど、あまりにジョージ・マイケル映画だったのには驚いた。全編に渡って曲が流れるというだけじゃなく彼という人が見事に編み込まれており、こんなリスペクトの形もあるんだって。予告の時点では三年前のクリスマスの訃報にその後に帰省した実家で夜中に聞いていたのを思い出し悲しくなりそうとも思ったけれど、全然ならなかった。

国では弁護士をしていたケイトの父親が資格を取り直すお金もなくタクシー運転手をしているというのには、どの国でも、日本でも…日本の場合はおよそ難民認定申請中となるわけだけれども…不本意な仕事で糊口をしのがざるを得ないという話をよく聞くじゃないかと思わされた。サンタ(ミシェル・ヨー)が法の順守にこだわるのも移民としての生きる術かもしれない。路上で歌うケイトを見かけた警官コンビ(この二人が実にいい)の「あのくらいいいじゃない」「一つ目をつぶれば次は泥棒、殺人と進んでいくんだから」なんて会話にも大いに既視感がある。

「韓国・フェミニズム・日本」に収録されている斎藤真理子と鴻巣友季子の対談に、近年ようやくハラスメントを語る「上から目線」のような言葉が出来て日本人の不愉快感が表しやすくなったというくだりがありそうそうと思ったものだけど、この映画でもケイトについてのシェルターのスタッフの会話が「彼女をどう思う」「上から目線だな」と簡潔に字幕で表されていた。この二人のセリフは常に物語に補助線を引いてくれる。「中産階級の施しなんて」然り「君への感情に戸惑ってるのさ、男によくあることだ」然り。

母(製作原案脚本兼、エマ・トンプソン)のつけっぱなしのテレビに「ブラックアダークリスマス・キャロル」。イギリスでは今でもシーズンになると放送されているのだろうか。日本の宣伝の「『ラブ・アクチュアリー』以来の」という文句に全然違うだろと思っていたものだけど、ここで少し繋がる(笑/彼女が自身であの役をやってしまうセンスも少し通じるところがあるかも)。尤もそこに帰宅したケイトは強制送還の恐怖を口にする母に「ここがママの家」と声を掛ける、時の流れを感じさせるのだけれども。

バウハウス・スピリット/バウハウスの女性たち


バウハウス100年映画祭」にて同時上映の二作を観賞。

バウハウスの精神は生き続けている」と数々の活動を紹介する「バウハウス・スピリット」(2018/ドイツ/ニールス・ボルブリンカー、トーマス・ティエルシュ監督)は、「垂直」へと手を伸ばすドキュメンタリーに思われた。デッサウ校の住居のベランダに始まり現在のスウェーデンの小学校の「山」、小型住宅の天井高、コロンビアのスラムに作られ犯罪率を下げたという垂直ジムやエスカレーター、ゴンドラなど。教室も時間割もない小学校で働くのには想像できない楽しさがあるだろうと思う反面どんなに大変かと考えてしまう、新しいってそういうことだ。

バウハウスとはまず学校であった」と始まる「バウハウス・スピリット」の後に「バウハウスの女性たち」(2019/ドイツ/ズザンネ・ラデルホーフ監督)の「バウハウスを去った女性は家庭生活においても新しいことをやってのけた」なんて語りを聞くと、学校で一体何を得られたのかと考えてしまう。そもそも彼女達の多くは既に芸術教育を受けており更なる何かを求めていたわけだけれども、具体的にはどんなことをしていたのか、その辺りはやはり自分で調べてみなければ分からず。

設立時には男女平等を謳いながら一年後の1920年には学校が軽視されることを危惧して入学者のうち女性の数を全体の三分の一とした学校において、織物工房に押し込められながらも素晴らしい作品を残した女性達の話は、私には上映前に更なる予告が流れた「この世界の片隅に」とかぶるところがある。もとより織物に興味を持っていようと才能を発揮しようと、(現在の化粧やハイヒールのように明文化されない形で)選択肢なく強制されたこと、「学校の広告では一番下に置かれていた」、つまり認められなかったこと、抑圧下にもそりゃあ素晴らしいことがあろうが、それでもやはり一番に、抑圧下であったことを忘れてはいけないと。

学校に対して疑問を抱く、反抗するのは正しいことだけれども、もとより乗れない土俵というものがある。目をつぶりつつ学ぶことは学んでいた?それは現在の私達もしていることだ。グンタ・シュテルツルが「男女学生に支援され」バウハウス初の女性教員となった(それは学校における下からの改革であった)というくだりでは、それをしていた者が男女共にいたのだと気付かされた。見終わると何だよまったく、私もがんばろうという気持ちになった。

幸福路のチー


「その顔で何々語を喋るなんて」という差別が昨今の日本映画において取り上げられているのか否か、SNSや何らかの記事では特に最近よく見られるようになったけれども、日本映画をあまり見ない私には分からない。他のアジアの国の映画ではよく見る。「スーパーティーチャー 熱血格闘」ではパキスタン系二世の少年が完璧な広東語を笑われ、本作では主人公チーより先に渡米した従兄弟の娘が(父と違って)英語ばかりを喋るのにおそらく対応して、台湾に住む幼馴染の娘が「学校でアメリカへ帰れと言われた」と訴える。

「学校では台湾語は禁止、北京語だけ」(しかしその北京語の元がアメリカの言葉にありもする)に始まりチーが「自由の国」に渡るこの映画を見ると、アメリカ映画が血の繋がらない家族を描き続けることが「できる」のは、遠い国で作られたオーナメントで飾られたツリーを楽しむ側の国だからと言えないこともない。私はそう考えはしないけれども(端的に言って、アメリカ人だって色々だから)。しかし「テロが切っ掛けでアメリカに来た」という視点や、アメリカ映画では浸透しきっているカウンセリングを、例えば仮に私がかの地で受けるとしたら、そうだよね、カウンセラーが日本のことを知らないがゆえにしっくりこないという可能性があるわけなんだよね、という気付きがやはり新鮮だった。

私はかつての自分と対話するということに興味が持てないので、あまりこの映画にはのれなかった(いや、対話してないじゃんと言われればそうなんだけども)。チーの祖母に(映画が)頼りきりなのも好きじゃない。作中最後に姿を見せる彼女が「幸せは永遠には続かない」と言う時、祖母自身の人生はどうだったのかと思うのと同時に、私と一歳違いのチーの「今(作品の舞台は10年程前か)」を見ながら、これから迫り来るあれこれについて考えた。

スーパーティーチャー 熱血格闘


「のむコレ3」にて観賞。

ここ数年、いかにも映画的な筋書きを綿密な調査やら何やらで裏打ちした作品が増えてきているけれど、これもその潮流にある一本と言っていい。準備した器が大きすぎてすかすかになっている感じは受けたけれども、荒唐無稽に見えながら色々なリアルが散りばめられていてぐっときた。香港で生まれ育ったパキスタン系二世や両親を亡くした新移民の子を始め、生徒達の住まいや保護者の仕事の様子といった環境が手短ながら丁寧に描かれている。

教育描写の方も、例えば冒頭の、ドニー先生というかチャン先生(ドニー・イェン)がタバコの話で一限もたせる場面など、ご丁寧に「総合を受け持つ」、最後に生徒の一人が「経済かと思ったら哲学、訳分からん」と口にしてくれるけど、教科の根っこは同じというところをきちんと押さえている。管理職の仕事とは責任を取ること、各教員の仕事はyou can do it!と伝えること、という基本も抜かりない。チャン先生の邁進も、教育界ほど先例主義であるところはないから経験のない彼にこそ出来るのだと思われてくる。

も・ち・ろ・ん、あんなにうまくいくわけない、というのは生徒とのあれこれよりも世の人々(特に保護者)はいい人ばかりじゃない、国は教育に金を出さない(って他の国では出してるの?)という部分により感じてしまったけれども。それでもあのテンポ、スピードは学校での時間は一分一秒が大切なものということの表れなんだ、チャン先生のタイミングがおそろしくいいのはああいう先生なんだからずーっと張ってて私達が見てるのはほんの一部なんだ、なんて思ってしまう(笑)そういう妙な力がある映画だった。

週末の記録


作ってもらった秋メニュー。
この時季恒例の練馬スパゲティは、練馬大根の葉を炒めたものをおろしに混ぜたことと、ツナ缶を使うところを燻製チキンに変えたところがいつもと違う。食べごたえあっていい。
オニオングラタンスープパンは、バゲットラビットのブールの「一番いいところ」(ど真ん中、切ったスイカで言えばてっぺん・笑)を30分炒めた玉ねぎによるスープに浸してチーズをのせて焼いたもの。これもゴージャスで美味。