バウハウス・スピリット/バウハウスの女性たち


バウハウス100年映画祭」にて同時上映の二作を観賞。

バウハウスの精神は生き続けている」と数々の活動を紹介する「バウハウス・スピリット」(2018/ドイツ/ニールス・ボルブリンカー、トーマス・ティエルシュ監督)は、「垂直」へと手を伸ばすドキュメンタリーに思われた。デッサウ校の住居のベランダに始まり現在のスウェーデンの小学校の「山」、小型住宅の天井高、コロンビアのスラムに作られ犯罪率を下げたという垂直ジムやエスカレーター、ゴンドラなど。教室も時間割もない小学校で働くのには想像できない楽しさがあるだろうと思う反面どんなに大変かと考えてしまう、新しいってそういうことだ。

バウハウスとはまず学校であった」と始まる「バウハウス・スピリット」の後に「バウハウスの女性たち」(2019/ドイツ/ズザンネ・ラデルホーフ監督)の「バウハウスを去った女性は家庭生活においても新しいことをやってのけた」なんて語りを聞くと、学校で一体何を得られたのかと考えてしまう。そもそも彼女達の多くは既に芸術教育を受けており更なる何かを求めていたわけだけれども、具体的にはどんなことをしていたのか、その辺りはやはり自分で調べてみなければ分からず。

設立時には男女平等を謳いながら一年後の1920年には学校が軽視されることを危惧して入学者のうち女性の数を全体の三分の一とした学校において、織物工房に押し込められながらも素晴らしい作品を残した女性達の話は、私には上映前に更なる予告が流れた「この世界の片隅に」とかぶるところがある。もとより織物に興味を持っていようと才能を発揮しようと、(現在の化粧やハイヒールのように明文化されない形で)選択肢なく強制されたこと、「学校の広告では一番下に置かれていた」、つまり認められなかったこと、抑圧下にもそりゃあ素晴らしいことがあろうが、それでもやはり一番に、抑圧下であったことを忘れてはいけないと。

学校に対して疑問を抱く、反抗するのは正しいことだけれども、もとより乗れない土俵というものがある。目をつぶりつつ学ぶことは学んでいた?それは現在の私達もしていることだ。グンタ・シュテルツルが「男女学生に支援され」バウハウス初の女性教員となった(それは学校における下からの改革であった)というくだりでは、それをしていた者が男女共にいたのだと気付かされた。見終わると何だよまったく、私もがんばろうという気持ちになった。