緑の光線/ルートヴィヒ


たまには「旧作映画」も劇場観賞しようと出向いたもの。



角川シネマ有楽町の「ロメールと女たち」にて「緑の光線」。とても面白い話だし、風が吹いていたり波が打ち寄せていたりなんて映像にも魅力があって惹き付けられるけれど、それほど心が沿わない、という感じは、学生時代にロメールを見た時と変わらず(内容は全く覚えていなかったけれども)


始まってしばらくは、帰ってクローゼットをひっくり返してみたくてしょうがなかった。もうすぐ夏だし、主人公のデルフィーヌが着回ししつつ、毎日少しずつ違う格好を見せてくれるもんだから。でもそのうちその気持ちは失せ、違う事が頭をもたげてくる。今朝はどういう気持ちでこの服を選んで着たのかなと思う。青いオフショルダーの水着に白い熊をつけてるのも、もらいものかもしれないけど、どんな気持ちで買ったのかな、なんて思う。


冒頭「本物の休暇が過ごしたい」と泣くデルフィーヌは、「パリは陽が差さないから嫌」「(そのうち晴れると言われ)私の部屋は晴れると暑くなるから嫌」なんて言い草。彼女が公園での待ち合わせ時に「目が痛い」と日蔭に入るのに、前日に見た「ルートヴィヒ」で、侍女が日傘をすぼめてもずっと日傘を差していたロミー・シュナイダーを思い出した。


▼リニューアル後の恵比寿ガーデンシネマの旧作上映は素晴らしい。「愛と哀しみのボレロ」と「バベットの晩餐会」も最高だった。今回は「ヴィスコンティと美しき男たち」にて「ルートヴィヒ」デジタル修復版(もう一本の「山猫」も見たいけど、今はバーガーでしょう!ということで・笑)ヴィスコンティの映画ってなぜだか全然飽きない。スクリーンならまた格別で、休憩挟んで四時間、ずっと目がぱっちり開いていた。


映画が始まって、ヘルムート・バーガーの右目と、いやそれよりも、後に馬に乗って登場するロミー・シュナイダーの、ベールの皺が顔に斜の影を落としているのを見た時、劇場に来たかいがあると思った(後半の二種のベール姿も絶品)。容姿も境遇もびっくるするほど違うけど、私はこの映画を見る時、彼女演じるエリーザベトに「感情移入」してしまう。「待たれるのは嫌い、失望されるのも嫌い」。ルートヴィヒが訪ねてきた弟に対し「戦争回避の為に出来る限りのことはした、だから私にとって戦争は存在しない」と言う時、エリザーベトが言った通り、確かに二人は似ていると思う。逃げながら生きる。ただその「逃げ方」は、少し違っているけれど。


前半は、「高い理想を持つ」若き国王が、エリーザベトとワーグナーへの「思い」、言ってみればどうしようもなく「無駄なこと」に情熱を費やす日々が描かれる。生真面目な彼は、年長者に色々言われ思い悩むも何らかの行動を起こす(従って「一見」問題は解決してゆくように見える)。戦争に突入するも引き籠るルートヴィヒに、デュルクハイム大佐は「特権的な自由は真の自由ではない、真の自由とは誰もが手にできるものだ」「高い理想を持つ者には難しいだろうが、孤独から逃れるにはそれしかない」と教え諭す。こういう、おじさんがこんこんと語っているだけの場面でも、何とも言えず面白い。加えてヴィスコンティの政治性を(どんな物にもそれが宿るとはいえ)直接的に味わえて嬉しい。


圧巻なのは、ルートヴィヒの城の数々をエリーザベトが訪ねるくだり。日傘を閉じる侍女と、閉じないエリーザベト。どこからともなく笑い声の響いてくるヘレンキームゼー城の大広間は、これまでの三時間があるゆえ、「孤独」「孤独」「孤独」と叫んでいる。ルートヴィヒは彼女に「今は会えない」「いつか会いに行く」「城を自由に使ってくれ」と伝えるよう命じる。バーガーが従者に言伝を頼んでいるだけのこの場面でふと、エリザーベトがルートヴィヒ不在の場で時を過ごすという、彼の願いではあるが「ありえない」情景が脳裏に広がり、たまらなく切ない気持ちになった。私にとってこの映画は、ルートヴィヒとエリザーベトの物語なのだ(でもって「それだけ」では無いところがまたいい)